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| 聴 法 録 102 |
聴法録102-1
宗教の根本
神、万物の本源として、唯一絶対の神が存在する。そして人間には、この本源としての神が遍く具備されている。かくして人間は各自の生き方の如何によって、自己の内部に宿り住んでいるこの神的本源の一部分を増大する事も減少することも出来る。この本源を増大しようと思ったら、各自が自己の欲情を抑圧し、自己の内部に愛を増大するべきで、この目的を達成する実際的方法は、「自分が他から行って貰いたく願う通り、他に対して先ず行へという一事に尽きる」これがあらゆるまことの宗教の主義綱領の要諦である。
凡てこれ等の主義綱領は、バラモン教にも、ユダヤ教にも、儒教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、共通普遍のものである。よしんば仏教が神の定義を与えないとしても、とにかく矢張り、人間がそれに融け入って一つになる本源、涅槃に達しつつ自己の小我を歿し去る本源、さうした本源を認める事に変わりはない。従って、人間が涅槃に達することによって一つに合一するところの本源は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教において神と認められている本源と結局同一物なのだ。
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聴法録102-2
宗教とは、かってあったように思われている超自然現象や、一定の祈祷および儀式の必要性などに対する、永遠不動に定められた信仰のたぐいではない。また学者諸公子の勘考するが如き、さらに今日においては何等の意味もなく人生への適用をもたむ往昔の無知の迷信の遺物でもない。
宗教とは、理性及び現代の藷知識とぴったり合致するように樹立されたる、永遠の生命即ち神‥‥に対する、人間の関係そのものは、他ならず、かくして神に対するさうした関係の設定のみが人類を、人類に使命付けられたまことの目的に向かって前進せしめるのだ。
「人の心は神の火を盛る燭台だ!」といういみじく、ヘブライの蔵言は言う。然り、心の中に神の火が燃えないいちは、人間は弱い不幸な動物に過ぎない。
しかしながら、此の火が燃えだした暁には、「(この火は宗教によって内的開眼を得た心の中にのみ燃え出すのだ!)」人間は世界中で一番強い存在となる。かくして、これはさうなるのが理の当然だ、何故というに、かかる場合には、「人間の内部で行動するのは、当人の力に非ずして、神の力に外ならぬからである。」
然り、かくして、こういうのが真の宗教であり、その真髄である。
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