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| 聴 法 録 105 |
聴法録105-1
大事である。
汚れた心を以って、何故神(真実の生命)と物語ろうとするのか。何故聖地に行くと言うのか。心の悪しきものが、どうして真の聖地に行けようか。聖者は、森にも、天にも、清潔な川にもいない。ただ清浄な自己の心中に住んでいるのだ。心を清浄にしていると、聖なる神(真実の生命)が現れて、その身体を、神(真実の生命)の宮殿としてしまう。悪念を去れ。そして、神(真実の生命)の心で見よ。すると、神(真実の生命)が心の目に映る。かくして人間は、自己を知り得るのだ。これを体験せずして、書籍によってのみ心中の恐怖を消滅させようとしても、それは不可能である。
描いた灯火では、闇は照らせない。どんなに厚い信仰を持ち、どんなに熱烈な祈りを捧げようとも、その心に真理が無かったなら、決して幸福は得られない。真理を得た者のみが、精神的に生まれ変わるのだ。
真の幸福の源泉は、心中にある。自己に内在する真実の生命以外に幸福を求めるものは愚かな人である。彼は自分の懐に居れた子羊を探し回る牧人のようだ。
神(真実の生命)の宮殿を建てるのに、何故そんなに石や木材を探し回って苦しむのか。神(真実の生命)の宮殿は、自己に内在する真実の生命にあるのではないか。
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聴法録105-2
番犬は、千の神像に優り、半人、半神の木石神は、宇宙の神(真実の生命)とは比較すべくもないのだ。
暁の明星の如く、各人の心に輝いている神(真実の生命)こそは、私達の望みと楯である。
人生の行路に癒着する悪を排除するのは、宗教が抱くものから始めらるべきだ。
然る後、各人の心に宗教的真理をはめ込むがよい。
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