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            聴  法  録  106

聴法録106-1
努力
罪悪、誘惑、妄信は、内在する真実の私の発達を妨げるものだ。

克己は人々を罪悪から救い、謙譲は人々を妄信から救う。

人は欲を避け、放漫を押え、智慧によって知識を検討しなければならぬ。人間は、ただ強い意志の働きによってのみ、私達から幸福を奪う罪悪、誘惑、妄信を避け得る。

神(真実の生命)の国は努力でのみ得られる。神(真実の生命)の国は私たちの心の内にあるものだから、これを体外に求めるなかれと福音書は教える。この教訓は、私達が神(真実の生命)の国に近づく事を妨げる罪悪、誘惑、妄信などに打ち勝たねばならぬことを示すものである。

地上に、完全なる安心はない。また有り得ないであろう。何故ならば、人の生涯に円満なる安全が無いからだ。然し、私達は絶えずこの安全を目指して進んでいる。この安全とは一体何であるか。これを具体的に説明する事は不可能であるが、これを放棄すると、人の生涯は、恐らく無意味なものとなってしまう。生涯の全うきを望む私達は、ただひたすらに、この安全なる状態を目標として進んでいこう。

善の獲得は、人間生涯の目的である。この目的は、ただ努力する事によってのみ達せられる。何事も努力なくしては成就しない。人間の生涯で、最も重要な事は、内在する真実の私に関する事である。そして、内在する真実の私の発展は、さらに努力を重ねてはじめて可能となる。
聴法録106-2

力の強い人というのは、鉄棒を飴のように曲げたり、百億、二百億の金を持っていたり、又は百万の兵力を持っていたりする人ではない。自己を自由に支配し得る人が、最も力の強い人である。

善業に就いて、人は色々考える。「これは困難な事だ」「いつまで骨をおったて到底不可能らしい」「これは容易だ、望み次第に実行できる」また、「努力したからとて、目的が達せられるとは限らない」等々、然し、総て努力によって内在する真実の私の働きを強めるなら、必ず目的は達せられるのである。

真のキリスト教徒になるためには、何か大袈裟な行動が必要だと思う人がある。がこれは甚たしい曲解だ。キリストの真の教えは、罪悪、誘惑、妄信を避けよという以外、何も特別な行動を要求していない。

不幸を招く行為は、容易だが、善美な結果をなす行為は困難であり、不断の努力が必要である。

欲するままに行為する人は、深く考えず、内在する真実の私に有益な正しい行動を為す人は、永く考え命がけの努力を続ける。

花に飾られ、烽敷いた滑らかな道は、善の殿堂には通じない。善の道は常にいばらに覆われ、絶壁に添っている。