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| 聴 法 録 110 |
聴法録110-1
社会生活改善の方法として善生涯を培へ
真実の生命の国に近づいていくこと‥‥私達の幸福な生涯を実現すること‥‥は自己の力によって出来る。そして、私達は、この目的の為に努力しつつ進んでゆく義務を持っている。
清浄でない現代の社会生活を改善しょうと思うなら、ここに最良の方法がある。それは、個々の人が先ず善を行ないことだ。善人が社会に増えるだけ、それだけ社会は向上する。
生涯を改善し、正義と善とを速やかに確立しょうとするのは徒労である。徐々に進む方が効果的である。‥‥とは、まま耳にする事であるが、これは正しくない。小舟が岸に近づくと、船頭はお客を船に残したまま一足先に上がった。船にとどまった客は櫓で漕がなくても、情勢で船が進むだろうと思っていたが、漕ぐ人がいない船は、少しも動かなかったのである。
「我は火を地上に投ぜんと来たれり、火は更に燃え盛る。我、更に何をか望まん」
キリスト教は、永い間の道の歴史を持っているが社会生活の根本は改良されるに至っていない。私達は、どんな根拠で社会改善の火が自然に燃え上がると考えているのであろうか。キリスト教の真理を認めた人の多数は、これを基礎として行動しない。これは何故か。彼等は、この改善を他に求めているので、自己の努力によって得ようとは考えないであろうか。
私達が、罪に溺れているのを見て、ある人は「さうしていてはいけない。速やかに改善せねばならぬ」という。「罪が自分一人に関する限りは、悪をよけるだけで済むがこれは一般的の事だから、一人の進退はそれほど意義を持たない。だから自然に任せておくより外はない。一個人の力では、何事も出来ない。」
「一羽のツバメが来ただけでは、まだ、春が来たのではない。」という諺は、真理だ一羽のツバメが春を持ち運んで来なくても、更に春を感じたツバメは何の躊躇なく飛んで来るだろう。若し互いに付度し合っているのなら、蕾が一つ出来たからとて春が来たのではない。真実の生命の国が地上に現れるためには、私達は最初のツバメであるか、千番目のツバメであるかを考える必要はない。真実の生命の国が近づくのを感じたら、直ちにその実現に必要な事を行なえばよい。
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出されん。叩けよ、さらば開かれん。
すべて求めるものは得、尋ねるものは見出し、叩くものは開かれん」
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聴法録110-2
私達の生涯は不善に満ちている。何故だろうか。生涯に悪が満ちているのは、人間自身の罪である。生涯から悪を遠ざけるためには、心を改善せねばならぬ。然し全人類の心を改造する事は不可能な話だ。
「生涯が悪いのは、世人が悪いからだ」と悟ったなら、各人は自己の是正に全力を注がねばならぬ。各自の改善によって、社会も善化されていくであろう。
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