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            聴  法  録  111

聴法録111-1
徳義の完成と人間の幸福
徳義の修養によって来る生涯の喜びは、労働後における休養の喜びのようである額に汗しなければ、休養の喜びが無い如く、徳の拡充がなければ、生涯の喜びはない。

善にいそしめば、善の褒賞がある
労働によって受ける筋肉の痛みを、若し無為の時に体験するなら、人はその苦痛に耐えることは出来ない。又,内在する真実の生命に怠情なものは、罪悪、誘惑、を避け得ない。そしてこれを避け得ない者には、徳義を、培う時の苦痛は、とても堪えられないであろう。

善を行なう心があろうとも、直ちに成功することは出来ない。多少の進歩も容易ではない。何故なら、徳の習得を進めて、前進すればするほど、目標も前進するから並大抵の努力では目的は達しられない。努力とは、あくまでも、幸福を得る方法であり幸福そのものではない。

真実の生命は、必要なものをあまねく動物に与えているが、人間には与えなかった人間は必要なものを自己の努力によって得なければならない。最高の智を持った人は未だかってないから、これを得るには、各自が精を出して働くべきだ。そして、多く働けば多く得るのである。

真実の生命の国は、力ずくで得るものだ。悪と争い、善の戦線を死守せんとすれば大いなる力が必要だ。人の心が善に向かうと、善が美しく輝き、行き易くなる。
聴法録111-2

人は、その自由を直覚する。宿命や天然の法則が至る所に猛威を廻らしているが人の自由は二つのものの保護によって、善く戦っている。一つは良心であり、一つは殉教的精神である。何ものも、これを抹殺することは出来ぬ。

ソクラテスからキリストまで、今日まで、真理のために殉じた者は、この奴隷的圧迫に反対して絶叫する。
「我々は生命と人々とを愛してきた。生命の愛の声は常に戦争を止めよと叫ぶ。
我が心は鼓動するごとに声を高めて生きよと叫ぶ。かくて死を賭してまで真理を守り生命の法を行なうと言うのは、実に喜ばし事ではないか。」
カイン以後、今日まで、残忍なるものの心の奥底に絶えず呵責の声が流れている。
「何故、正道を捨てて悪の道を歩いているのか」その声は鋭く心を刺す。自由な心を持つ人々よ。悪に癒着してしまったら、遂に脱出の機会を失うのだ、逃れるのは今のうちではないか。