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             聴  法  録  120

聴法録120-1
行為の正否
内容の如何を問わず、総ての行為に敬意を払う必要はない。然し、拱手傍観の態度を正当とする訳にはいかぬ。行為の正否、時と場所と条件によって定まる。

生涯の内在する真実の生命化は、そう急ぐ必要がない。急ぐのは却って失敗を招く恐れがある。他人の労務によって与えられる慰籍は、内的の力をもたないのみならず、生涯を内在する真実の生命化するためには無益である。
他人の労務によって、得られる驕籍を、無視し自己は自己の力によってのみ生活して行けるならば、人間の働きも従労とはならない。人間の生涯に有害なのは、無駄なことも、為さずともよいことを行なうことである。

生涯の悪習を遠ざけよ
謹慎を、生涯の中心とする習慣を作るためには、肉と真実の生命との区別を確然とさせ、肉の欲求を抑えて、内在する真実の生命の要求を協へてやらねばならぬ。

内在する真実の生命が活気を失ってしまうと、肉体は周囲が与える影響の傀儡となって踊り狂う、一人が欠伸をすれば、他の者にも伝波するし、一人が情に燃えれば、他の者も熱してくる。こういう外部の刺激が、良心に反する行為の一つの原因である。私達は、この点を十分注意して、外部の刺激に適当な制限を与えねばならぬ。

肉体のみに生きる人を斥け、内在する真実の生命に生きる人と接近するように、青年時代から、習慣づけて置くがよい。こうすることによって、肉の影響は容易に制限できる。この習慣を得た人は、円滑な生涯を送り得るだろう。
聴法録120-2
不謹慎な心と良心との争い
智と欲との争いは、絶え間がない。人間が、智だけで欲を持たなかったら、心は常に安静であろう。然し、人間に智と供に欲がある。そのために智と欲との争いが絶えぬのである。これでは、静かな心を持続していることは不可能であるから、智と欲とが互いに矛盾しないように努めねばならぬ。


自己を尊ぶように他の人を貴び、自己のためのように他の人の為に、努力する事は、生涯の重要事である。このためには、常に自己を自由にして置いて、何時でも働かせられるように、心の訓練を忘れてはならぬ。