|
|
| 聴 法 録 127 |
聴法録127-1
思想
行為は思想の結果である。行為を是正しょうと思うなら、先ず、思想から正さねばならぬ。そして、思想は真実の私の方向を転換することによってのみ、是正せられるものであるから、第一に内在する真実の私の是正が肝要である。
思想の使命
罪悪、誘惑、妄信等から逃れ出るには、肉体の努力のみでは不可能だ。どうしても思想の力を借りなければならぬ。人間は、唯一つの思想によってのみ、克己、謙遜正義なるものとなり得る。この場合、人間は罪悪、誘惑、妄信等と事実上絶縁するのである。
「相愛せよ」という教えは、私達に愛の実現方法のみを教えるのではないか。何ものが愛の発言を妨げるのかということを示してくれる。この生涯から、愛の発現を妨げるものを除去することは、最も貴重な仕事である。
人間が思想しないものであったら、何故生きているかということも理解できないであろう。さうしたら、善悪の区分など勿論不可能である。だから、思想することは、人間にとって最も貴いものの一つである。
宗教的な徳義訓と、良心との二つが人生を指導するように思われるが、実は良心のみが人間を導いて行くのである。良心は、私達の心にある。神(真実の生命)の声であるからだこの声は、人間の為に、「何を行なうべきか、何を行なってはならぬか」を示す、警鐘でもある。人間は、唯でも、その場所と時とを問わずに、この声を聴くことが出来る。
眼は物を見る器械であるということを、知らなかったら人間はいつまでも、哀れな盲目でなければならないであろう。思想する力が、与えられてあっても、この使用を知らなかったら、矢張り不運に陥てしまうだろう。不幸などは、捨てて置けば、自然に消滅してしまうのだと考えている者は、自ら無為な人間となってしまう。又、知に重きを置く人が、「人生の不幸は、人間の利益のために与えられたものだ」と考えて、顧みなかったなら、その良心は鈍ってしまうだろう。
|
聴法録127-2
人間は多くの場合、その不幸を直視せず、顔を外らしているから、ますます、不幸と絶縁出来ないのである。私が私達に真実の生命を与えて、若し意表に反する事に出合っても努力次第緩和するように慈悲を与えてくれるから、落胆せずに力闘すべきである。私達は又、生まれながらに、独立心を持ち、肉親は勿論、周囲の人々から厄介になる必要はない。唯、神(真実の生命)の慈悲にすがって人生に勇往邁進してゆけばよい。
新しい思想を発見し、その正しいことを確認したら、以前に抱いていた思想を一つの記念物のように大切に扱おうではないか、真理は人間の霊が生まれながらもっているものであるから、いつまでも虚偽に覆われている筈はない。早晩、必ず表面に現れるものだ。
真理のようであるが、少し疑わしいと思われる思想がある。こんな真理は信じる気持ちになれない。若し、こんな真理に出合ったら、反復熟慮した方がよい。それが、純然たる真理なら、一度心に銘じたが、最後、いつまでも動かないが、虚偽の真理ならば、直ぐに動いてしまう。
真理が人の心に入り難い場合が三つある。第一は、「こんな馬鹿げた事が」と思うこと。第二は「これは徳義に反する」と思うこと、第三は「これは誰も知っているから殊更に取り上げる価値はない」と思うことである。
|
|
|