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| 聴 法 録 135 |
聴法録135-1
人間は思想するから動物に優る
人間は、思想する事によって動物に優る。ある人は、この能力を発達させようと努めるが、ある人は少しも意に介さない。こんな人は、禽獣類に優越する所以を忘却した人である。家畜が飢えると、畜舎の外に出たがる。外には幾らでも食料があることを感じているのだが、内側へ開く畜舎の戸が閉まっているために、戸を開けて屋外に出ることを知らない。終いに餓死するまで、外に出ることが出来ないのである。唯、人間のみがこんな愚を繰り返さない智慧を持っているのだ。忍耐を続け、労働を厭わず、必要のためには物を蓄え、将来を考えてはその乱用を慎み、善だと信ずればこれを行い、悪を知ればこれを止めるように調節する能力を持っているこのように、思想の力は最も尊いものであるから、これを守りこれを発展させようと努力したいものだ。
人間と宇宙とを比較すると、人間はまるで芽のようだ。然し、芽は芽でも、智を持つ芽である。数滴或いは一匙の劇薬はよく人を殺すに足る。こんな脆弱なものだが、人間は何ものよりも貴く、価値がある。それは、人間は死に直面しても、その理性によって死を意識することが出来るからだ。
人間の脳を大自然の前に置くと、その弱小なのに驚く。然し、自然界は意識することがない。この意識する心の存在によって、人は万物の上に超然たる態度を取ることが出来る。
私達は、この心を尊び、辱めぬようにせねばならない。又この心は、善悪の存在を明らかにして、私達の生涯を清々とさせる。
人は読み書きを学ぶが、親友にはどんな書面を書き、自分を侮辱したものにはどんな風に書くべきかは学んでいない。又、音楽を学ぶが、その音楽を何時何処で奏すべきかは学んでいないのである。だが、私達の持っている真実の生命は、何時どういう書面を書き、どうゆう音楽を奏すべきを示している。神(真実の生命)が私達に内在する真実の生命を与えたのは、最も貴重なものを与えたわけである。神(真実の生命)は私達に内在する真実の生命を与える時、「汝らが悪をよけて生涯の幸福を享けられるように、われは、わが一部を分けて、汝等の心に収めて置こう」と仰せられたのである。私達は、この内在する真実の生命によって人生に於けるすべての事象を誤りなく判断し、善なる方向に進むなら、何物にも妨げられたり圧迫されたりすることなく。これによって、自己の運命を喞ったり、憤ったり、非難したりすることなく、又、人に媚びたり、天分の少なきを嘆く事もないであろう、これが人間の最も妥当な生活であるが、この内在する真実の生命的生涯になお、不足を抱く人があるだろうか。
「神(真実の生命)はベルを鳴らさずに汝を訪う」という諺がある。これは人間と宇宙の根底である神(真実の生命)との間に隔壁が無いという意味である。このように、神(真実の生命)と人間との間に隔壁が無いならば、私達は常に神(真実の生命)の大いなる力の前にさらされている訳である。私達の内在する真実の生命のはたらき、即ち思想の働きは、神(真実の生命)との交換の道を開くものである。
人間は、思想するために造られたものである。ここに人間の価値と能力がある。だから、人間の持つ責任の一は、正しく思想することでなければならぬ。思想する順序は、人間、造物主、人間最後の目的という問題から始めるべきにも拘らず、私達は一体何をしているだろう。娯楽に隋し、富の蓄積に耽り、名誉を求め、王者の如くなって大衆の上に君臨する。これが最終の目的なのであろうか。いや王者となる前に、私達は真実の生命たる道を、十分研鑚してかからねばならないのだ。
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