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| 聴 法 録 143 |
聴法録143-1
獣的傾向に生命はない
キリストはブドウ園の諺を以って、獣的生活は、蜃気楼のようなものであるから、これを真生命とする者は、痛く迷っているのだと説いた。他人の所有する設備完全な葡萄園に入り込んで、園主気取りでいる租借人は誤った横暴者だ。
彼の残忍な無知な行動は、追放されても十分な価値がある。園主は葡萄を植え、縁の周囲に池をめぐらして、生垣を作り井戸を掘って、設備の完全な園を貸したのであるから、適当な使用料を要求する権利がある。だが、租借はこれを忘れたのである。
これは、個人的生産に生きようと思うものが、何を為すべきか、何を神(真実の生命)から要求されているかを、忘れていることである。
キリストの教えによると、葡萄園の租借者は、園主に使用料を支払う義務があるのだ。即ち、人間は生まれてから死ぬまで造物主に対して自分はいったい何者であるのか、又何を為すべきかを忘れてはならぬ、肉体のために暮らすのは、以上のような関係を忘れて、神意に反する行いを為すことにある。
「克己は自由を奪う」とある人は言うが、そういう人には、「克己は私達の放蕩を防ぎ、天地の常道を示す」ということが解らないのだ。人間の獣欲は、残忍や圧制を好むものである。
これを抑えつけてしまはない限り、人間はその責任を忘れてしまうから、真の自由は得られない。
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