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| 聴 法 録 144 |
聴法録144-1
克己は罪悪をさける
内在する真実の生命の生涯を送るためには、獣的快楽をさけることと、心の傾向を下から上へ移す努力が必要である。その生涯が獣的であったことを知れば、必ず内在する真実の生命の生涯に移りたくなる。この転換が完全に行われると、既往の損失や苦労は少しも感じなくなり、善を尊び、悪をさける心が旺盛になってくる。
幸福を得るために、善の生涯を送っていることは、健康、富貴などの一般的な幸福をも獲得出来ると思いがちだが、これは甚だしい誤りである。健康、富貴などは、人間の使命遂行には、何等の関係はない。人間は、その心中に、何物にも攪乱されないところの内在する真実の生命の幸福と愛情とを受容する力を持っているのであるから、この内在する真実の生命の力を信じ、これが達成に努力しなければならない。
人間は、肉の生涯のために活き、その享有のために働いているが、ここに支障が生じると、肉を捨てて内在する真実の生命の生涯のために活き、その享有のために働いているが、ここに支障が生ずると、肉を捨てて内在する真実の生命の生涯に向かうようになる。内在する真実の生命の生涯は融通無碍のものであり、恰も鳥の翼のようである。鳥がその足で歩いている時、若し危険に出逢ったら、直ちに翼で飛び上がる。それは内在する真実の生命の力を信じているからである。
矛盾と言うものは、私達が古い生涯を捨てて新しい生涯に移る陣痛のよなものであるから、内在する真実の生命の生涯を以って肉の生涯の滅亡を妨げてはならない
神(真実の生命)を伴い得る内在する真実の生命の行為ほど貴いものはない。この行為は、個人的な幸福を求める獣的な傾向を抑制し、肉の生涯の無意義である事を示すものだこういう行為は、ただ神(真実の生命)と個人の内在する真実の生命とが接触した場合のみ起きるのである。これを、他の人と供の得ようとすると、手遅れになってしまう。他人と相携えて徳の拡充にいそしむということは、個々人の克己心が旺盛で、神(真実の生命)との交通が整っている場合でなければ不可能である
人間は遅かれ早かれ心中の矛盾を感じるようになる。つまり、内在する真実の生命でも生きたいし、心でも生きたいと思う。だが、肉で生きることは内在する真実の生命に生きることにはならない。ここに矛盾が生まれてくる。若し、これが真の矛盾であるとすれば、腐敗した麦の種子に芽が生じるのは矛盾することになる。惟うに、矛盾と言うものは、内在する真実の生命の声が聴こえないところにあるのでなかろうか。
生涯の喜ばしい仕事の一つは、内在する真実の生命の発展させることである。このためには、自己を捨てる必要がある。己に克ことは、小事から初めて逐次大事に及んでいくがよい。
内在する真実の生命的生涯の焔が消えかかると、肉的生涯の影がその進路に映じてくる。この影を消してしまうことが肝要だ。然し、内在する真実の生命の光が、肉の希望を肉の心から追い出さないうちは、この影を抹殺することは不可能である
己をさけることは、神(真実の生命)に従うことを意味する。己のために生きることは、家畜と同じようなことをすることである。人間の生涯は獣的生涯から次第に遠ざかって、内在する真実の生命の生涯に入るべきである。
肉の情愛をさけ得ないのは、肉が生涯の重要事になっているからだ。肉の情愛は幼年時代には必要な条件であり、又それは自然であるが、一度、内在する真実の生命が発達するに及んでは、肉情は弱小となり、終いには消滅するものである。幼児は、自愛による良心の呵責は感じない。が、内在する真実の生命が鮮明になるに従って自愛は良心を刺激するようになるかくて、生涯の働きが増大すると共に、自愛は次第に弱くなり、死に近づくに従って消え失せていく。
自分はまるで罪の淵に沈んでいくようなものだ。一つの罪悪から這い出すと、直ぐ他の罪悪に捉えられてしまう。こんなことでは、全く自分の生涯に愛想が尽きた。…
と多くの人は嘆くが、この境遇から救われる方法は一つある。
それは、生涯を内在する真実の生命化して、肉情を抑えつけるにある。全心、全内在する真実の生命を以って之に努めるならば、その生涯は逐次に改善せられよう汝の生涯が悪かったのは、内在する真実の生命の生涯から遠ざかり肉の生涯に近づいていたからである。
肉を捨てずに罪悪から逃れようとするのは、甚だしい誤りだ。先ず、肉の要求をさけて、内在する真実の生命の要求を容れよ。これを実行せぬ限り、汝の努力は無益に終わってしまう
犠牲のない生涯は絶無だ。人間の生涯は、欲すると欲せざるとを問ず、肉の生涯を内在する真実の生命的生涯の犠牲にするものでなくてはならぬ。
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