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| 聴 法 録 15 |
聴法録15-1
どんな場合、どんな人、どんな時でもいい、有難いと感じるその尊い心の奥、奥の奥にと深く入りたい。その底に徹底する時、洞徹したもう光明にふれる。きれぎれに見えていた有難さをたった一つから八万四千に分かれ出る有難さ。人様の親切を通して見える、大慈大悲の真実の生命の本願力。親思う心を通して、その奥に見える大悲の親の本願力。苦しい時にはやっぱり苦しい。けれどもその苦しさのままの中から、吹き出してくる有難い心。魂のどん底から有難いと吹き出したことのない私、「有難い」という一語の抹殺された私の生活に、何故に本当の光がある。なぜに本当の安心がある。
どうしてもどうしても念願する。
たった一つの一番大きな有難さを知りたい。
有難いと言いうる謙虚な心になっていきたい。
かくて人の世は有難いと生きえた部分のみ、本当に生きたと思う私もそうなりたい。
末通ったよろこびに、人の世を暮しうる者のみ、本当に生きるのである。
最上、最大の喜びは何か。現在を救われて、内在する真実の生命と共の生きることである。
煩悩具足の私の中に、永遠の生命と光明の真実の生命が内在したもう。
有限のいのちの中に、永遠のいのちが内在したもう。
永遠のいのちの中に、私は生かされている。
大いなるいのちより生まれ、支えられ、生かされて、生きている。(生かされている)
大いなるいのちに、私は抱かれている。 (救われている)
大いなるいのちが、私の中に内在する。 (親と共に歩いている)
大いなるいのちに、帰る (感謝とよろこびをもって生まれ故郷に帰る) |
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