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| 聴 法 録 153 |
聴法録153-1
正義
妄信は善生涯を妨げるのみならず正義に係る。
世の中の噂と習慣は如何に見るべきか
社会の声を正しいものと為し、個人の心に湧く声をなんら意味の無いものだとしていると、神の存在を否定するような、誤った思想に陥る。
社会がよいと考える教訓や、伝説も、そのまま鵜呑みにせず、十分調べたがよい。若し、この教訓や伝説のうちに、真理に遠いものがあった場合は、躊躇なくそれを放棄してしまえ。
真理を知れ、真理は汝らに自由を与えるべし。
人は、真実の生命が神の質を備えていることを、その智慧によって知り、私達が持っている道徳訓のうちからは、疑う余地のない真理を見出す。
正しい人たらんと欲する者は、決して世に媚びない。立派な生涯を送る人は、社会が善と認めたからといっても、不用意には認めない。自身自ら検討して、真理を探り当ててこれに従っていく。独立した研究は、最も有効であり、貴い思想の良き伴侶となる。
真理を持つ人は、それを、貧者、富者、老若男女に与えよ。彼らが信じるためである。若し、与えるものが真理でないならば、誰もこれを信じないだろう。真理は、屋上から宣伝したところで、決して恥ずべきものでない。「こんなことは民衆に知らせてはよくない」とか私達はこれが真理でないことを知っているが、民衆にはかく信じさせた方が利益だ。これで悪が増加しても、それは別問題である。などという主張は正しくない。
曲がった道は、何処までも曲がっていく。目的は多数の人は助けるためであっても彼等を欺瞞するならば、それは虚偽であって清浄な利益を与えることは出来ない。
私たち人間のためには、一つの津法がある。曰く「私達の道案内が真理であるならば、彼が導く方向え、安心していくがよい。」
真理として示される道理の中にも、善悪が混合している。だが信じる者は相当にある。この傾向は、社会の進歩を徐々に妨げ、しかも苦痛を伴うものである。
現代人は、祖先が努力して得た知識を、何の造作もなく受け継いでいるが、それによって私達は、祖先の行なった誤診や迷妄をも体験することになる。
人間は永く生きるほど、種々な妄信から解放される。
妄信とは、誤った思想にもとずく一つの信念である。妄信は智慧の力によって看破できる。この力は、真理を尊ぶことによって湧き上がる。
自分の心を満足させたり利益があると思われることを、真理だと信じるのは、小児や文化の低いものの常である。精神的な生活をつづけた人の、智慧は、日ごとに鮮明になる。そして、利益あることのみを真理とするような虚偽な思想から解放される。理知が澄み、努力が加わるにしたがって、彼らの思想は深まり、ついに真理とは何かという大問題にまで、思索が触れるようになる。
言葉だけで表現された真理は、無力のようであるが、その根底には無限の活力が潜んでいる。
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