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| 聴 法 録 16 |
聴法録16-1
有限のいのちと煩悩具足の 私の中に、永遠のいのちと光明の真実の生命が内在したもう。このことを信じる程度にしたがって、真実の生命が感応し、現成したもう。ただただこの事を信じる唯信の道のみである。
内在する真実の生命と唱えるは、我ここにありとの答えなり。ただこのことを信じなさい。私が信じるにあらず、ただ内在する真実の生命の回向による。
私には、なんの信じる力もない。煩悩具足の私である。内在する真実の生命の力による。私に出来ることは、内在する真実の生命と唱えることのみ、内在する真実の生命こそ唯一の真実なり。このことのみを信じなさい、私の助かる道はこのことのみ、その他はいらない。
大いなる生命より、生まれ、生かされ、支えられ、育てられている私である。この私のために、内在する真実の生命になりて、私のために、誓願を立てられた、この誓願の中に生かされている、絶対の幸福「いかなる条件によっても変わることのない幸福」になってくれよと願われているこの私である。
誓願の中には、内在する真実の生命、大いなる真実の生命がこめられている。幸福になってくれよとの、親の願いが込められている。感謝とよろこびで生きることである。この世に生まれたのは、永遠の生命と光明の世界を信じて、感謝とよろこびに包まれて生きること、このことが、この世に生まれた意味があると私は信じる。幸福になってくれよと親に願われているこの私であると信じる。 |
聴法録16−2
何人というも、大いなる「生命」を心内にもつものは、単純に且つ唯一に、大いなる「生命」を万物の中に持つ。かかる人は、あらゆるその労作、あらゆる場所に大いなる「生命」伴ない、大いなる「生命」のみが彼の労作の全部を行う。
彼は大いなる「生命」のほか、何も求めない。
大いなる「生命」以外の何物も彼には善と見えない。
彼は全ての想念において大いなる「生命」と合一する。
如何なる「多」も大いなる「生命」を分散せしめ得ぬと同じく、何物もかかる人を分散させ或いは「多」とすることは出来ない。 |
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