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             聴  法  録  163

聴法録163-1
苦痛は生涯を活かす
人間の内部には、神の真実の生命がある。生まれたばかりの幼児には、その生涯の何ものかを知っていない。身体だけが貴いと思うのである。だが、年月を重ねるに随って、身体が生命でなく、内在する真実の生命が人間の生命であることを悟るようになる。更に長ずると、人間の目的は、内在する真実の生命の生活を拡充することを認める。そして、尚、この智識を練磨すると、肉体の苦痛や苦労は、人間の生涯を真実の生命化するものだと悟るようになる。


人間の物質的発達は、真実の生命の成長の援助にもなる。真実の生命の発達が停止すると、人間の身体は衰弱に向かうのである。この時が、真実の生命の成熟期である。

肉体のためにのみ生きる人は「万事が悪くなった」という。真実の生命のためにのみ生きる人は「万事は善くなっていく」という。万事が悪化する人は、身体が砥石となって真実の生命が磨り減らされてしまう。

不幸と言うものは、人間を悪に導いているようだが、人間は天の定めた目標に向かって進んでいるから、不幸によって人の心は練磨され、悪の枙を脱して次第に幸福に向かう力を得るのである。

「我れ天より降りしは我が意を為さんためにあらず、我は遣わせ給いしものの意志を満たさんためなり。我を遣わせ給いしものの意志は、すべて我に賜いしものを、我その一つも失うことなく終りの日に甦らすにあり。」
かくの如く、神は寵児を乳母に預けたように、私達を扱っている。私達は、神から授けられた心中の真実の生命を出来るだけ保護成長させなくてはならぬ。だが、このためには、私達は何を必要とすべきでこれに就いては、「欲をさけ、名益や安念を去り、謹厳、謙譲、労働を力行し、争闘、欠乏、苦痛などから逃れ、あらゆる迫害を甘受せねばならない」と福音書が一再ならず説いている。そして、この実行に対しては人間は天与の力を持っている。然し、この力の量は、各人同一でない。大小深浅の別がある。私達は、自己の天分を相当に用いて、その使命をまっとうせねばならない。こうして世に処するなら、苦しみの労働も喜びとなり、嫌な仕事も楽しくなる。そして、生涯を攪乱する悪は去り、幸福は自然に起こってくる。