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| 聴 法 録 164 |
聴法録164-1
苦痛は生涯を活かす
人間が死を恐れず、死に就いて考えず、死に襲われる憂いがなくなったら、何物をも恐れなくなろう。何の根拠も何の理由もなく死が襲来しても、防護なき人間の生涯に苦痛を与え無くなるであろう。
その時には、智慧を尊重して、これに反する総ての異論邪説をさけてしまうであろう。例えば、私が善人であるとして、ただ他人のことのみを心にかけているとする。
然るに、何の理由もなく、病に罹り、為しかけた仕事は中断され、非常な苦痛を感じる。汽車に乗って旅行をしていると、何時の間にかレールの鋲が腐食していて列車は転覆し、車内の小児は母親の眼前で無残な圧死を遂げる。リッサボンやウエルヌイでは大地震が起こり大地が崩壊して、何の罪もない幾万の住民が行きながら地中に埋没した。等々、同じような悲惨は、この世界に千を以って数えるほどあるが、これは、一体、どうしたことであろう。
若し、私達が精神生活の意義を認めないならば、このような世界観は、私達の生涯を無意味なものとして、肉体の存在は、たとえ一分一秒でも成り立たないようになる若し、冷酷無情な雇主が、その労働者の人たる権利を奪い、これを火焙りにしたり皮を剥いで、脂肪を取ったりするなら、彼に仕えるものは一人もあるまい。
又、人間が単に肉のみで生きているのだとしたら、その周囲で行われる苦痛が常に私達を誘発して、この世には安静な生活などあり得なくなる。
人間は、この苦しみと悲しみの国に住んで、泣いたり、喚いたりしてこれを訴えるが決してこの世から逃げ出さず、何とか生きようとしている。
この恐るべき矛盾を解くカギは、ただ一つしかない。それは、心の底に潜む真実の生命の声を聴くことである。ここには肉の力はない。そして、この声は、精神的生涯の為に苦が必要である所以を示している。人生の真の意義を解さぬ人は、これを怒る。然し、これは智が肉の虜となっている場合に起こることで、内在する真実の生命の生涯に生きている人のためには、苦痛も苦難も更になく、彼の幸福を奪うことは不可能である。
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