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             聴  法  録  165

聴法録165-1
苦痛は生涯を内在する真実の生命に導く
私達が「悪」と為すものは、悲哀と苦痛の根源であるから、観察の方法如何によっては、私達の利益ともなる。即ち真実の生命を鍛錬して至善なものと為し、生涯を鍛錬して幸福なものとするのである。


「我れ誠に汝らに告ぐ。汝等は嘆き悲しみ、世は喜ばん。汝らは憂うべし、されどその憂いは喜びとならん。女の産まんとするや、大いなる苦しみあり、その期、到り子を産みてあとは苦痛を覚えず。人の子の産まれたるを喜ぶによりてなり。」

愚かなる肉の生涯に苦痛の多きことは、智に基く内在する真実の生命の生涯の出現を希望させる。

夜の闇黒は、星の光を私たちに見せる。人生の苦痛は、真の生命の存在を私達に啓示する。

外部から殺到する苦痛の不幸は、精神的に健康な人には害を及ぼさない。苦痛や不幸は怒れる野獣の如く、人間に挑みかかるが、真実の生命の力を持つ人には何等の障碍にもならず、むしろ、徳義を完成する動機となる。

青年や世事に疎い人は、老人や物事に詳しい人が知っているようなことを知らないこういう人は、不愉快、悲しみ、困難、不幸を試練とせねばならぬ。この試練を十分に経たなら、信仰は確立し、世の表裏は熟知し、その生涯は揺るぎない基礎の上に立つようになる。

この世の辛酸を舐めた人々は、互いに融和するようにする。大いなる苦難に出合った人は、他人の苦痛に同情し易い。苦難は、人間の心を鍛錬して、他人の心をよく理解させる。そして、他人のためには、何事を行なったらよいかが、明瞭になる。
我らに知恵を与えた神(真実の生命)は実に偉大である。この智慧を得たものは、如何に人生を処すべきかを知り、浮世の労苦にやって得た知識は、書籍によって得たものに勝ること遙かである。

神(真実の生命)が残した相違ない証拠を備えた教師を、私達に与えてくれたら、私達は真の喜びと自由を以って彼に随うであろう。私達は、これに似た教師を持っている。それは困難と不幸とである。

苦痛から、多くのよい教訓が得られる。これを知らぬ人には、智に協う生涯が容易に発見できない。

満喫した苦痛から逃れたいと、私達は神(真実の生命)に祈る。然し、この困苦は、神(真実の生命)が私を罪悪から救うために下したものであるかも知れない。この場合、私達は、燃え盛る家の内庭から家畜を救い出そうとして逃げ回る彼等を鞭で打つ雇主と考えよ。救われることを知らぬ家畜どもは、打たれる苦痛を避けて逃げ廻っているのである。


私達が悪だと思っている多くの事柄は、或は善であるかも知れぬ。物事に対する私達の理解が浅薄なために、誤りを冒す場合がある。よく調べて見よ。