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| 聴 法 録 166 |
聴法録166-1
疾病は善生活を促進させる
私達は、動物的の生涯から精神的の生涯に進まなくてはならない。この進歩は、往々にして悪に誘導される。つまり、悲哀、疾病、不幸、困苦等、私達が悪と名づけるものが、動物的の「我」を精神的の「我」にまで導いて行くのである。
弱いものや、不幸なものと思われる人の生涯と、万事都合よく常に健康で、富み栄え、世人から尊敬され、強壮で、幸福で、優秀な人が、反対に指弾される。
この世の生涯は、困難に出逢って鍛えられるのである。だが、多くの人は、不幸や疾病に出逢うと不平を言い愚痴をこぼすのである。
困苦は、「悪」だと人は言う。だが、この世に困苦がなかったら、他の何処に困苦があり得よう。そして、何処に喜悦のみがあるだろうか。人々には、この真理が十分理解されていないようだ。
肉体が弱ると、精神の爽やかさが感じられる。
人間としての義務が盡せないというほどの病などあり得ない。若し、苦労で奉仕出来ぬような状態になるならせめて愛と忍耐をもって人々の模範となるがよい。
疾病は何人も免れぬ不幸である。だが、私達は、どうしたら全快出来るかと焦るより、どうしたら病気中に善い生涯が送れるか、又、他人に有益なことが行えるかを考えたがよい。
大罪を犯したために、心を苦しめ、どうしても死にきれなかったという昔話しがあるこの罰にあった人の苦しみは、如何に耐え難いものであったか想像外である。
病人に、その病気が治り難いものであり、ただ死あるのみだということを、決して隠す必要はない。この事実を、病人に打ち明けて、予め用意させるならば、たとえ死が近づこうとも、その内在する真実の生命は、彼に幸福を感じさせるに違いない。
総てのものを焼きつくす火も、これを適当に用いるなら、人の生活を豊富にする。疾病もこれに似ている。健康な者は、暴力によって生涯を幸福にしようとするが、この世の誘惑は彼を捨てて置かない。病人にはこの誘惑がないから、義務の負担が軽くなる。病床にある時、これを体験するが、口に出すことは憚る。病気が癒えると罪と誘惑が全力を挙げて襲い掛かってくるから、人はその負担の重さに苦しむようになる。
肉体が衰えると悪が遠ざかる。すると内在する真実の生命の力が旺盛になってくるこれは、精神的なものと肉体的なものとを秤をかけるようなものである。肉が勢いを得ると、精進の力は衰える。精神が力づけば肉に反抗する力が湧き上がる。
人は老衰すると子児のようになる。この現象を、あの人は意識と生命の滅亡だという。
教会に伝えられる話によると、使徒ヨハネは、老年に及ぶとまるで小児のようになり「兄弟よ、汝等は互いに愛し合へ」ということだけを教えていたという。百才になっても、歩行が自由にならぬ老人が、涙で目を曇らせて、やっと動く舌で「汝等は互いに相愛しなさい」と教えた訳である。このヨハネは、更に肉体的の力を失っている。そして、極く僅かな動物的存在だけで、この世に対して、更に新しい関係が生じているのである。
実際生活に現れる疾病や老衰などによって、人間の生涯が圧迫され、次第に縮していくのを嘆くことは、燈火に近づくに従って人間の影が小さくなり、それを嘆くのと同じことだ。
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