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| 聴 法 録 169 |
聴法録169-1
困苦は善を教える
自分を不幸なものであると秘かに感じた場合には、他人の不幸やより悲惨な社会の出来事を思い起こせ。だが、更に重要なのは、この苦痛は、自己を試練するために、特に神(真実の生命)が遣わしたものかどうかを考えることだ。そして、試練のために不幸が与えられているのだと知ったら、喜んでこれを忍べ。更に又以前よりも一層善であるようにと遣わされたのならば、これに欣然として服従せよ。以上は、神(真実の生命)の神意によるものであるから、汝の生涯の最重要事である。
疾病や不幸、悲哀に出逢った時は、神(真実の生命)に援けを祈るのが何よりも必要である。然しこの祈りで単に援助を求めてはならない。この祈りは、必ず神(真実の生命)の意志を認識しての祈りでなくてはならぬ。
キリストは言う
「我が意志の成らんことを欲するに非ず、汝の意志の成らんことを願うなり。我が欲することを為さんとするに非ずして汝の欲することを為さんために祈るなり。然し我が行は汝の定めしことを行なう為なり。」云々私達が困苦に悲哀に襲われた場合には、「こんな苦しみは再びあり得ない。私は自己の意志を行なうことのみを願わず、まづ神(真実の生命)の意志の遂行を願うのだ」と、心に言い聞かせたがよい。
人間が始めた大事業は、苦しみと涙で綴られている。イエスは、あらゆる困難をなめて、ユダヤの古い津法を破壊するために奮闘した。当時の権力者は、彼を憎んで、事毎に、圧泊した。だがイエスは微塵も屈しなかった。彼は荒れ果てた荒野のような民心を、愛の教えのパンで養うように試みた。彼は、十字架による死と、その場合における弟子たちの離散を予知していたが、為すべき仕事の完成と進むべき道は、一瞬も忘れなかった。彼の肉体は、この苦杯を拒否したが、肉より強健な彼の心は猛然としてこの苦しみを満喫したのである。
キリストが達した目的を、自分の目的として進まんとする者は、キリストが歩んだ道を歩め。人々を真の兄弟の如く愛さんと欲せば、愛の津法によって彼らに接し圧制不法、偽善等に対して闘いを挑め、若し、地上に正義、真実、義務、相愛の国を建設せんと欲するならば、必ず権力者から挑戦されるであろう。然し、この場合、決して彼等と争ってはならぬ。
彼ら反対者の為すがままにまかせて置くがよい。神(真実の生命)は、人間の為し得ざる事も容易に行うものである。真理の基礎は、永久の生命を持っているから、これを軽々に破壊しようとする者があれば、彼は却って自ら失敗するのみだ。彼等は、真理の尊奉者であるがための苦杯を、更に味わっているではないか。躊躇せずにこれを飲め。最後の一滴まで余さずに飲め。彼等は盗賊の如く汝らを捕えて、虚偽を真理とする者を証人として、汝等に神(真実の生命)を冒涜せよと要求するであろう。かくて裁判官は、汝等に死の判決を下すであろう。事態がかくならば、最早、汝等は焦らずに、未来のみを渇望せよ。そして、これを、汝等が神(真実の生命)より特派された旗印として高く掲げよ。
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