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             聴  法  録  182

聴法録182-1
死後に就いて

「人間の死後はどうなるのでしょうか」という人が多い。「肉体は腐るでしょう、土に還るでしょう」と私は答える。だが、人間には、肉体のほかに真実の生命がある。更に「この真実の生命は肉体の死後どうなるのでしょうか」と問う。これは私にも解らない
「どうなる」というと、問題は時と関係が深くなるが、真実の生命は「時」を超越している。彼には過去も未来もない。
唯だ「現在」があるのみだ。若し、現在もないなら、それは虚無である。だが、虚無からは何ものをも覚め得られない。


肉体の死は生涯の終りではない
「私達は死後も存在し得るであろうか」「私達は、死と同時に存在しなくなり、その上に神(真実の生命)と融合し得られないのであるまいか。」この二つの疑問は、私達人間のためには全く恐るべきものである。

生命の到着すべき目的は、真実の生命の完全にある。この進路は死によっても遮断されようとは思われない。完全への進行は、何ものにも妨害されないが、彼に変換があるのは当然だ。

死は私達の肉体の最も激しい変化である。そして又、肉体こそは、不断の変化を経つつあるものだ。生まれた時には全くの丸裸で、それから乳児となり、毛髪が生え、歯が伸びる。やがて盛年に及ぶそれが過ぎると白髪となり、禿頭となる。この複雑な変化に少しも恐れない私達が、何故、肉体の終りである死を恐怖するのであろうこれは、あらゆる変化を経験した後に、何等の予告もなくやってくるからであろうか知人が、遠方へ行ったきり何の消息もない場合に、私達は、若し、病気にでも罹ったのではないか、それとも又別の土地へ移ったのかもしれない、などと、一時は心を労するが、やがてそのうちには何とか通信があるだろうくらいで、忘れるともなく忘れてしまう。彼が不幸にして死んだ場合でも「そうか、可愛そうなことをした」と一応は気に留めるが、深く彼のことを考えようとしない。
死後はどうなるか。‥‥これを知ることは、私達に許されていない。また知る必要もないのである。私達が、知らねばならぬことは唯一つ次のようなことである。
「私達の生命は、転変常なき肉体にあるのではない。肉に包含されている真実の生命にあるのだ。真実の生命には初めもなく終りもない。ただ現在のみである。だから真実の生命は不変にして不滅である。」