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             聴  法  録  188

聴法録188-1
生死を超越した生涯
生と死は、或るものの両極端である。この両極端の他は、単一な何ものかである。

生まれ出た胎児は、母胎と全く異なっ
新世界に入って、新しい生涯を始める。人は死に於いて、出生以前の状態に還るのである。一旦は死ぬが、再び以前の存在に、その記憶と共の甦ることを仮死と名づける。新しい機能を備えて起きるのを、誕生と名づける

生命を夢幻の如く、死を覚醒の如く観ることも不可能ではない。

人間が生まれるのは、何処から出てくるのであろう。そして、死ぬのは何処に去るのであろうか。私達は、天の父なる真実の生命から生命を得て、この世に出て来た。‥‥生命は神(真実の生命)から出た、現に出ている。将来もそうであろう。そして、人は彼を目指して進んで行く。故に、人は出たところうをめざして帰りつつあるのだ。

人は家の外に出て働き、家に帰って休憩し、食事を執り、娯楽に疲れを忘れる。人の生涯も、一日の生活の如くである。人は神(真実の生命)から出て、稼ぎ、苦しみ、楽しみ、慰められ、喜び、休憩するが、やがて疲れ切って真実の生命の住処に帰ってくる。


現在の状態を、あの世で復活させることが出来るであろうか。過去が現在と不可分の関係を持つことが、果たして、現在を未来に関係させる所以であろうか。

汝は、この生命をどんな手段で得たのか。又、特殊の「我」である汝は何処から来たのであるか。そして汝はこれから何処に行くのか。‥‥これ等の事に無関心で生きていくと、その途上で受けると、もう進んで行けなくなる。何故なら。その落ち着く處には、何物かがいるように思われるからだ。汝がこの世にやって来たが、あらためてこの世界を調査してからではない。
汝は入口から来たが、出口へは行きたがらない。汝の真実の生命は常に前進している。これに遅れぬように、汝も急いで走るようにして進んだのである。だが、やがて死がやって来る。この肉体の変事に汝は恐怖を覚えた。然し、この生涯の大変化である死が迫って来たとて、汝に不幸や悪運が帰って来たのではない。むしろ、汝の生涯には、幸福や喜びが多くあって、汝は容易にこれを破棄しなかったのではないか。