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             聴  法  録  190

聴法録190-1
死は万事を司る
人間は長命するほど、生命の展開が大になる。不明瞭な或るものを、十分に理解するようになる。この知識の展開は、死ぬまで続いて、死に入ってからは、生存中に思い及ばなかった方面に伸展して行くであろう。

死の瞬間、人はある伸展し遂げると見えて、死者の顔面には、納得したとでもいうような表情があらわれる。この世に残された私達は、死者の顔に表現された思想の真意を悟ることは出来ないが、やがて私達自らこれを体験し得るのである。

あらゆる生物は、伸展して行く。最も高い極まで登りつめて、終りには平等をかち得るであろう。やがて死期に至ると、進展は停止する。既に進展し終わったもの、進展しつつあるかのごとく見ゆるものが、死に逢着すれば、かって見なかった全く新たなるものを見えるであろう。

死するものは「永久」への参加者である。彼は悠久なる墓の彼方から、私達に何事かを語っているようだ。彼の語るものは、なんだか命令のように思われる。私達は、又、死の預言者のようにも思う。この世から去りゆく生命と棺の蓋とが、意義深い何事かを宣言しているようにも感じられる。死によって、彼の天分は次第に頭角を現してくるのである。

不幸や災難は私達のうちに隠されている真実の生命のもの不死のもの克己的のものを覚醒させる何ものかである不幸や災難は、又、私達生命の基礎ともなる。これ等の意味は「不幸と災難とは「内在する真実の私」を完全に展開させるものである。」ということになる。