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| 聴 法 録 199 |
聴法録199-1
生命の法則を無視するものに幸福はない
「悪が何故、この世に在るのか」と問うなら、私は「生命は何故、この世に在るのか」と反問する。悪があるのは生命があるからである。だが、生命は、悪よりの解脱となる場合もある。
生命が、少しも喜びをもたらさないのは、その智の方向に誤診があるからだ。
人間の生涯が喜ばしいものでないのは、喜びであるような行為がないからだ。
「私達の生涯は幸福でない。」というのは、生涯と言う言葉のうちに、生命のうちに、生命よりも大なる意味を加えようと考えるからではなかろうか。私達には、生命よりも大きな幸福とはいかなるものか皆目解らない。また、そのようなものがあろうと思われない。もし生命を幸福と考えない人があるなら、それは生命に欠点があるからではなく、私達の思想に誤診があるのである。
善を行なったと言いながら、不幸に悩む人があるが、私達にはその理由が解らない。然し、多分これは、善でない事を、善だと考えて行っているからではあるまいか
不幸をかこつ者の多くは、彼自身が不幸の原因となっていることを知らねばならぬ人間として不必要なものを望み、それが成就しないのを嘆き、これを不幸と考えるのは愚の骨頂である。
人間として出来得るものを望むなら、その願いは成就して、人は幸福になる、だが希望しても成就せぬもの、又、希望するなら常に得られるものとは、一体何であろうか。人間が持ちえない、権利に属しないものとは、この世でいう幸福、つまり富貴とか、健康とかである。人間の圏内にあるものとは、私達の内在する真実のいのちの存在である。この内在する真実のいのちは、真の幸福のためには、欠くべからざるものであるが、私達に属しないもの、自由にならぬものは、真の幸福を与えない。
私達に幸福を与えるものは、善き父が、その子を導いて行くようなものである。
私達に真の幸福を与えないものは、無くとも一向差支えないものだが、幸福を与えるものは、あまねく必要なものばかりである。
人が胃を患うと、食べ物が不味くなる。丁度このようなことが、人の生涯にもある。私達は、自分の生涯に対して、不平を言う権利を持っていない。若し、不平を言いたい場合があったら、その不平の原因を十分に検討してからにせよ。
一人の旅人が道に迷い。大きな川の岸で全く進むことが出来なくなった。彼は自分に道を教えた人を恨みながら、考え込んだ。どうにもよい方法が見出されないのでいっそ川に投じて死のうと思った。だが、やっと思い直して川岸を下流へ歩き始めた。すると、立派な橋もあり、渡船まで備わっていたのである。この世の道を踏み外した人は、丁度この旅人のようだ。彼は生涯の本道から、脇道に入って迷ったが、その誤りを悟り得ず、遂に自殺まで決心したのである。
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