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             聴  法  録  217

聴法録217-1
教えを学べば、やはりどこかが自分が痛いんですよ。私達が教えを学んだりそれを人に伝えるという事は、とてもしんどいことでして、やっぱりそれは鏡に向かえば、自分の欠点に気付けば、それを正していこうという事になるわけで、教え学ぶというのは、そういう厳しさに、常に自己自身を晒しながら、自己を脱皮し、そして成長せしめて行くという事だと思います。お釈迦さまが、晩年に弟子たちに残す言葉として語られたという、有名な「遊行経」という経典の中にある言葉で

自らを灯火とし

法を灯火として
他を灯火とすることなかれ

自らに帰依し
法に帰依して
他に帰依することなかれ
(「遊行経」(長阿含経)から)


自らを灯火とし、法を灯火とする。法とは真理です。その道理を灯火として、他を灯火とすることなかれ。次の文も前の文と同じ意味ですが、自らに帰依し、法に帰依して他に帰依することなかれ、という有名な言葉があります。お釈迦様が語ったという、この言葉の意味を、私なりの理解ですが、自らを灯火とするとは、何処までも自分の人生は、自分で責任を取らなきゃならんのだと。これをまず教えていると思いますね。それを自らを灯火とせよと、こういうわけでしょう。しかし、自分を灯火にする。自分で責任を取るというその自分は、いつでも自己中心的にエゴイズムに彩られておりますので、同時に、法を、道理を人類普遍の原理を、同時に灯火にしなければならないと教えるのだと思います。