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| 聴 法 録 226 |
聴法録226-1
この私は、何のために生まれ、生きているのか?
それはもう一人の私、真実の自己(内在するいのち)に会うために生まれてきた。生まれたままの私は、自分中心(自我)である。その中に真実の私がいる。その真実の私に会うためにこの自我があり、その自我に構成されされている娑婆がある。
あらゆる苦悩は、この私に真実のいのちに会わせるためにあるのだと思う。真実のいのちこそもう一人の私であり、永遠のいのちであり智慧である。それこそ私が生まれてきた意味があると思うのです。この世間(娑婆)に構成されている世界の中に真実の世界(大いなるいのち)がある。その真実のいのちの中に生かされている。
そして、大いなるいのちの働きによって、生かされて生きている。この真実の私(内在するいのち)に生き、真実の世界(大いなるいのち)に生きる。これこそ生まれてきた本当の意味ではないだろうか。
この身体を、私だと思っていたが、本当の私は、奥の奥に内在する真実の私であり、外に目を向けてはならない。我が内に真実の私があり、私の親がいる師がいる。師を呼び、師に問いかけるがよい、必ず答えてくれる。内在する大いなるいのちに頼るがよい。信じるがいい、外に頼ってはならない。
一人一人は、天上天下唯我独尊であり、浄土に生きている。大いなるいのちと真実の私を信じなさい。
一人一人は、内在する真実のいのちであり、大いなるいのちの世界に生きることである。
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