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| 聴 法 録 23 |
聴法録23-1
有限の「いのち」と永遠の「いのち」
有限の「いのち」を通してのみ永遠の「いのち」を知ることが出来る。
永遠の「いのち」こそ絶対の幸福であり、感謝と喜びの世界である。
あなたも真実の仏法を求めて素晴らしい人生を味わって頂きたい。
金とか、名誉とか、病気が治る等、目先の幸せ、条件が崩れるとたちまち色あせる幸せは世間の幸せ。それを捨てて、いかなる条件の中にあっても、変わることのない真の幸せ、絶対の幸せこそ、私たちが求める真実の幸福である。
「地獄に堕ちる者は、十方世界の土の如く、人間に生まれる者は爪の上の土の如し」と「涅槃経」には説かれています。
このように受け難い人身を受けたと言うことは、人間界に出なければ果たせない重大な問題があると言うことなのです。人間には大切な使命があって、それを達成するために生まれてきたと言うことなのです。
その唯一の使命とは、真実の仏法、阿弥陀仏の本願を聴信し、生まれてきた意味を知り解決をすると言うことなのです。
仏法を聴き絶対の幸福を獲得しないかぎり、人間に生まれた本当の有難さ、尊さがわかるものではありません。
「人身受け難し、今すでに受く、仏法聴き難し今すでに聴く。この身今生に向かって度せずんばさらにいずれの生に向かってか、この身を度せん」
唱えて下さる念仏なればただ有難く聴くのみ。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
何のために生まれ、何のために生きるのか、それは絶対の幸福を得るためである。絶対の幸福とはいかなる条件のもとでも感謝と喜びの生活が出来ることである。
この世の中は、永遠の「いのち」を求めて生きることである。有限の世界にありながら永遠の「いのち」との一体化である。
永遠の「いのち」の中に生きていながらそのことに気が付いていない、そのことに気が付いてくれよと願われている身である。それこそ条件によって変わる幸福でなく、条件によって変わることのない、絶対の幸福、真実の幸福である。これは強制でなく、自から求めなければならない。生きているとは、その絶対の幸福を求めていくことである。このことは、生まれ変わり、生まれ変わりて、求めることであり難中の難である。 |
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