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             聴  法  録  231

聴法録231-1

他の人々に偉いと考えてもらうように生きるな。自分が自分をいいと考えるように生きよ。他の人々が貴方を悪しきものと考えることを恐れるのは虚栄というものだ。
よき人々の栄誉は、その人々の良心の中にある。他人の口の上にはないのだ。

自己否定は自分自身を否定しさることではない。ただ自分の「自我」を、動物的な領域から精神的な領域に移すことであるのだ。
 
この世に悪は存在しない。悪はすべて、私達自身の心の中にある。それゆえ滅ぼし得るものである。

完全な喜びというものは、不法な誹謗を忍ぶこと、そしてそのために生じる肉体的な苦痛に耐えること、そしてその誹謗と苦痛の原因に対して敵対を試みないと言うことにある、そしてそれは人々の悪や自分の苦が破壊しえない所のまことの信仰と愛との意識における喜びである。

人々が誹謗し罵言する時喜べよ。人々が誉めそやかす時悲しめよ。人から馬鹿者にされることは、善のよき現れである。

人間の心に神が在すことを知る人は謙虚な人である。

恭順は愛を呼び起こす。善を伴なった恭順は、この世に於いて最も人をひきつけるものである。しかしそれは自分で探さねばならない、ひとりで現れて来るものではない。

あらゆる水の流れが、自分に沿って流れる為に谷間のすべてを支配するためには、それより低いことが必要である。同じように聖者が、人々より高くあろうと思えば、言葉に於いて、人々より低くあらねばならない。

人々を導こうと欲したら、人々の背後からしなければならないそれ故に聖者は高い所に住んでいても、人々は、それを感じないのである。本当は自分達よりずっと先にいても人々は、それを苦にしないのである。聖者は、誰とも争いをしないから、この世の誰も彼と争いをしないのである。