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             聴  法  録  232

聴法録232-1

常に自分のあらゆるものを犠牲にすることを用意しているひとには、平和がある。平和に対する最も重要な妨害は私達の傲慢なのだ、誹謗され、誤解されても、常に恭順であり謙遜している用意のできている時にのみ、人は自分と他の人々の関係の中に、平和をもたらすことができるのである。

恭順であるためにもたらされる軽蔑を恐れるな。それは多くの場合、その後にまことの精神的な幸福をもっているものである。人は恭順によって、その幸福を買うのだ。

物体は広がれば広がるほど、その中身がうすくなる。人間の誇りも、この通りである。自分の運命を幸福なるべきものと考えている人は恭順ではありえない、自分を神の奴隷だと考え、その運命を奉仕であると考えている人は、恭順ならざるをえない。
 
人が自分自身の中へ深く入れば入るほど、そして自分自身をつまらないものだと考えれば考えるほど、ますます高きものとなりそして神へと近ずいてゆくのだ。

恭順な人より力強いものはない、恭順な人は、自分自身より離れて、神と一つになる。人が恭順であればあるほど、ますます自由になりそして強くなる。


多くの人々が次のような弱点をもっている、それは自分が未だ長い間生徒でいなければならないのに、他人の先生になりたがることである。智者のための修養の卒業期はない、賢者は墓穴に入るまで学生だと思っている。私達の為す総てのことは、神や隣人の援助なくしては絶対に不可能であるから、総てのことを神の業とするのが当然である。謙讓でありたいと願うならば、まず独座瞑想のうちに自分
の心中深く傲慢が潜んでいるかを調べよ。


河川は海に流れ込む、だから大海はどんな小さい川よりも低いところにある。水は方円の器に従う、その力を出すときは、岩をもくだき、堤を破り、家を流す。