聴法録233-1
父或いは母を私より以上に愛するものは、私に値しないものである。息子或いは娘を私より以上に愛するものは私に値しないものだ自らの十字架をとりそして私の後に続かないものは、私に値しないものだ。自分の魂を大切にするものは、それを失うものである。私のために自分の魂を失うものはそれを得るものである。
(聖書)
火が蝋燭をなくするように、善は個人的な生活を失うものである。火が蝋燭をとかしてゆくように、、善へ入ることによって、個人的な生活意識は消えてしまう。死は、肉体を滅ぼす、建物を建てた人は森や肉体のなくなったことを喜ぶ。
自己否定は、自分自身を否定し去ることではない。ただ自分の「自我」を、動物的な、領域から精神的な領域に移すことである。精神的な人にとって自己否定は幸福に赴く道である。動物的な人にとって情欲の満足がそうであるように。
まことの生活は、自己否定がはじまる時にのみはじまる。人間が自己否定の考えをもつことが多ければ多いほどますます大きな影響を人にあたえることのできるものである。自我は神をかくしている被いである。ただ神をのみ愛し、ただ自我をのみ憎むことが必要である。
慈悲は、ただそれが犠牲であるときにのみ、慈悲である。
地上を支配することよりも幸福であり、空に上がることよりも美しく、世界を統御するよりも恵み多きものは肉欲より解放された聖き喜びである。
あらゆる偉大な人類の仕事は、ただ苦悩を得てのみ成し遂げられたものだ。苦悩とよばれているものは、精神が発達してゆく状態であるのだ。苦悩なくして成長は不可能である。ひとは苦悩を得て不滅と成るものである。もし人に苦悩がなかったら、その人は悪くなるばかりである。それ故にこういうことがいわれている。不幸が訪れてくるものは神に愛されているものだ。
人は神によってかせられた罰によって、よき行いを成すようになる。すなわちその人は、自分に課せられた苦悩をよろこばなければならない。何故ならそれはその人にとって大きな利益をもたらしたから。
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