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| 聴 法 録 245 |
聴法録245-1
生涯の掟
高慢は、凡夫の持つ不治の病である。百千の善根功徳も一つの高慢によって滅ぶ。
謙虚な心
松下幸之助氏(1894 〜 1989)に、次のような言葉が残されています。
ー学ぶ心ー
学ぶ心さえあれば
万物すべてこれ我が師である
語らぬ石 流れる雲
つまりはこの広い宇宙
この人間の長い歴史
どんなに小さいことにでも
どんなに古いことにでも
宇宙の摂理 自然の理法がひそかに
脈づいているのである
そしてまた 人間の尊い知恵と体験が
にじんでいるのである
これらのすべてに学びたい
丁稚奉公から身を起し、経営の神様と称えられた松下幸之助氏ならではの味わい深い詩です。
冒頭の「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である」という言葉は、仏教の教えに相通じます。
『華けごんきょう厳経・入にゅうほっかいぼん法界品』に、善財童子という少年の仏道修行の話があります。
インドの長者の子であった善財童子が、文殊菩薩の勧めにより、五十三人の善知識( 私を導いてくれる善き師)を次々訪ね歩き、最後に普賢菩薩に出遭って、悟りを開くという内容のお経です。
ここに登場してくる善知識というのが、まことに多種多様な人たちで、文殊菩薩のような優れた方もいれば、金持ち、商人、船頭、外
げどう道(仏教徒以外の人)、童男、童女(少年、少女)、さらに
は遊女といった人々も出てくるのです。
つまり、道を求める心さえあれば、どんな人でも善知識(私を導いてくれる善き師)になるということを教えております。まさに「万人(万物)すべて我が師なり」です。
ただ、ここで気をつけたいことは学ぶ者の心構えです。
たとえば、学んだことが自惚れを助長したり、学んで知ったことが自慢の種になって、相手を見下すような学び方なら、むしろ学ばない方がいいでしょう。
学ぶ者にとって最も大事なことは「謙虚さ」です。「謙虚である」ということが学ぶ者に最も要求されることです。謙虚さを忘れた学びは、慢心(思い上がり、自惚れ)を生みだすばかりです。
殊に、お念仏の教えは、学べば学ぶほど、自らの愚かさに気づかせていただく教えですから慢心の心をもってしては、決してその教えを頂くことは出来ません。
親鸞聖人は次のように仰っています。
善知識に会うことも
教ふることもまた難し
よく聞くことも難ければ
信ずることもなお難し
(浄土和讃)
弥陀仏本願念仏
邪見驕慢悪衆生
信楽受持甚以難
難中之難無過斯
(正信偈の一節)
慢心の心がある限り、善知識に会うこともお念仏の教えを信じることも出来ないと仰っているのです。
しかし、ひとたび頭が下がれば、全ては私の善知識と仰ぐ世界が開かれ、お念仏のみ教えこそ、
この愚かな私の為であったと、心の底から喜んで頂くことが出来るようになるのです。
そのために、どこまでも謙虚さを失わないことが大切なのです。
恐るべきは「慢心」、忘れてならないのは「謙虚さ」であります。
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