本文へジャンプ
             聴  法  録  257

聴法録257-1

真実の生命は、全てに、満ち満ちて在らざるところなし。真実の生命として、内在する私の内にも内在する、そして、生かされて生きているそのままでよいのだ。真実の生命は、平等、一元である。内在するする真実の生命に頼るがいい、真実の生命は、生も死もすべて真実の生命の内でのことである。その他の事も心配することはない。真実の生命、内在する真実の生命に任すればよい。私に起きる全ての事は真実の生命の中でのことである。そして受け入れるべきである。真実の生命の働きを楽しんでいけばよい。
ただただこの事を信じて頭を下げてゆけばいい。苦、病、老、死は、真実の私を育ててくれる。

真実の生命の働きによって生かされて生きている。人も自然も全て真実の生命の内に生かされて生きている。私の物はなに一つもない全て真実の生命の働きであり、その手の内に在る。因縁によって、善き行為がおき、悪しき行為がおきる、それは、全て受け取っていかなければならない。それは、私の行為の結果である。苦、病、老、死は、真実の私を育ててくれる。

内在する真実の生命は、「我ここに居る、側にいる、共にいるぞ」「我にまかせよ」との声がした私はただ「はい」と答えるのみ、それ以上の何が必要であろうか。それ以上を求めるのは、この事を本当に信じていないのである。内在する真実の生命に対する絶対の信仰こそ私の生命である。このことのみ、これ以上を求める必要はない。これ以外を求めるならば、本当の信心ではない。

真実の生命一切万物、すべて、真実の生命の妙用によって現成する。一切万物、全て、真実の生命に帰る。神や仏も真実の生命に帰る。神仏の奥に、真実の生命の光がある。