|
|
| 聴 法 録 258 |
聴法録258-1
絶対の生命は真実の生命として全ての内に内在する。
われ生きるに非ず我が内なる真実の生命生きればなり。
このことを信じる程度に応じて真実の生命は感応し現成する。
自己とは、他でもない。絶対の生命の働きに、身を任せて運に任せてあるがままに、この現在の境遇に身を落ち着けることである。ひたすら絶対の生命に身を任せて、身を落ち着ける。まさにその故に死生の事も何ら憂うる必要もない。
死生でさえ憂うるに足りないのだから、まして、これ以下の事柄などは何ら憂うる必要もない。
追放されてもかまわないし、誹謗中傷や排斥など、なんら意に介すべきことではない。我等はむしろ絶対の生命が我等に与えてくれ物をひたすら、楽しみたいものだ。
内在する絶対の生命を、信じることは、人も自然の内に在る。絶対の生命を認め信じることだ。
内在する真実の生命を呼ぶとき、「我ここに居る、側にいる、共にいるぞとの答えなり、そして我にまかせよ」と私はただただ「はい」と頭を下げるのみ。
苦、病、老、死は、真実の私を育ててくれる。あるがままに受け入れて行かねばならない。
絶対の生命(大本である)絶対の生命の内に世間があり、人も自然もあり、生きるもの全てがあり、絶対の生命によって生かされて生きている。絶対の生命は全ての内にまします。永遠の生命であり、永遠の幸福、永遠のわたしであります。
|
|
|