聴法録260-1
入信体験というものは、「自分の価値をゼロ位に置くのである」すなわち無我の体験です。無我の境地というと宗教の奥義で、私たちには、体験できないと考えやすいが、むしろ、私たちは、何時も無我で生きているのでしょう。
私の本当の価値は、ゼロであり、何の価値もないのである。在るのは生命そのものであり。全て絶対の生命のみである。価値があると思うのは幻想である
私の存在は、私というものはない在るのは、生命そのものであり、100%絶対の生命であり、私の価値は、ゼロであり。絶対の生命のみである。無我になった時、絶対の生命は感応し入り込んでくる、絶対の生命は、全てに満ち満ちているそれ以外にはない。自我が分別しているのみである。
これは、絶体の生命の慈悲であり、智慧である。真実の私には実体がない「絶対の生命は、無我にて候」自我の小欲、小我を滅して絶対の生命の大願大心に帰入せよ。
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