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| 聴 法 録 263 |
聴法録263-1
真実の私は、永遠の生命そのものであり、永遠の幸福そのものであり、智慧の光明の生命そのものであり、内在する真実の生命そのものであり、そのことは、われ生きるに非ず、真実の生命生きればなりである。そのことは、絶対の生命、真実の生命の廻向による。私の物はなに一つもない。
全て永遠の生命、絶対の生命そのものによる。感謝せよ。
真実の生命は、無我である、内在する真実の生命にまかせよと、私は、どうしても無我になれない、我にまかせよと言われる、真実の生命に任せるより私の生きる道はない。ただ私は内在する真実の生命にお任せしますと頭を下げるのみ。
絶対の生命そのものは無我である。その為には、絶対の生命との一体化を願うべきである。その為には自我を少しでも無くしようとして無我との一体を願うべきである。その為には、内在する真実の生命の、絶対的な信心が必要である。
信じる程度に応じて内在する真実の生命は感応し現生する。
無我の真理を無我の真理として、そのままにしておいたなら、種々のもがきも苦しみもない筈であるのに、無我海中にあって、小我の山を築きにかかるから、種々に苦しまなくてはならないのである。ゆえに、人が無我になるには細工はいらぬ。そのままで如来のお救いと信じる時、無我の真理は、我自身に光を現すのである。
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