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| 聴 法 録 265 |
聴法録265-1
絶対の生命は、無我にて候
自己の小欲小我を滅して、絶対の生命の大願、絶対の生命の大心に帰入せよ。この知識の教えはこれ以外にない。この生活世界に処して自由と平和と満足の生活する法は、この無我以外にはないのである。この唯、無我と言う事は、我等が今あらためてそうしなければならないことでなくて、我等の本来の姿が無我のものであって、諸法無我とは不動の法則であり、絶対の生命の智慧(光)によって照らし出される。それによって知らされる感応する。感応される。自分では解からない、真実の生命の廻向による。
真実の生命を信じよ。
不変の真理である、我等が無我になるには造作はいらない。そのままに安住するのが無我になることである。ああすればよいとか、こうすればよいかと心配するのは、まだ無我の真理を知らないのだ。無我の真理の中にいながら小我の世界を造ろうとするから、種々に苦しまなくてはならないのだ。
太洋を山にしようとすれば大変な労力もいるだろうが、太洋を太洋のままにしておく分には、何の造作もいらない、無我の真理を真理としてそのままにしておいたなら、種々のもがきも、苦しみもない筈であるのに、無我海中にあって小我の山を築きにかかるから、種々に苦しまなくてはならないのである。ゆえに、人が無我になるには細工はいらぬそのままでそのままで、絶対の生命の救いと信じる時、無我の真理は、我自身に光を現わすのである。
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