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             聴  法  録  268

聴法録268-1

神様、仏様と呼ぶときは、我ここに居る、側にいる、共にいるとの答えなり。これは絶対の生命の廻向による。
天上天下唯我独尊に気付かせるための絶対の生命の働きなり。このことこそ私がこの世に生まれてきた意味である。このことを絶対に忘れてはならない。
絶対の生命は、全てにまします、いないと言うところなし。
絶対の生命の内に生かされて生きているのだから、このことに気付いてくれと、私を呼びずめ、働きずめなり、私の内にまします。この事を求めなければならない。絶対の生命のこれは誓願なり。絶対の生命の誓願です。
このことを信じることこそが本当の宗教です。絶対の生命は、我にまかせよ、我にまかせよと呼び給う、私は、この事を信じるのみそして任せるのみ。この事を信じる程度に応じて真実の生命は感応し現成する。神仏の唯信のみ。

われ生きるに非ず、
我が内なる真実の生命生きればなり。
この事を信じる程度に応じて真実の生命は感応し現成する。

我が内なる真実の生命は、我ここに居る、側にいる、共にいるぞ、我にまかせよ、我を信じよと、私はただ「はい」と言って頭を下げるのみ。

真実の生命に安んじ、真実の生命にまかせ、真実の生命の働きによって生かされて生きている。

苦病老死は、真実の私を育ててくれる。