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| 聴 法 録 27 |
聴法録27-1
天地開けてより、本来の真実の生命は、汝の心の内にありと喜ぶべし。
人間は堕落した存在物であるから、内的光明と結合するに非ざれば、善をなし得ない。この内的光明は人間の内における救い主であって、罪の種子と同じく普遍的である。全ての人は、キリスト教徒も仏教徒も、異教徒も無信仰者も全ての人に、この内的光明を賦与されている。
大いなる生命の前に義とせられるには、この内的光明を拒否せず、彼らの内に、神聖なるものの新生を許す人々である。
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聴法録27-2
数多き人々のうち、彼岸に達するは、まこと数少なし、あまたの人は、ただ、この岸の上に、右に左にさまようなり。
ある日、眼の不自由なアヌルダはつぶやいた。「誰か幸せを求める人は、私のこの針のメドに糸を通してくれないだろうか」と直ちに応じて下さったのは釈尊ご自身であった。恐縮しながらアヌルダはお尋ねした。「お釈迦様も幸せを求めておいでですか?」と。釈迦は答えられた。「世間の人は皆幸せを求めているが、私ほど真剣に幸せを求めたものはいないであろう」と。金とか名誉とか病気が治る等、目先の幸せ、条件が崩れるとたちまち色あせる幸せは此岸の幸せ。それを捨てて、いかなる条件の中にあっても変わることのない真の幸せ、彼岸を求めてそこに至る道や生き方を説かれたのが釈尊なのである。
求むれば求むるほど菩堤への道は、いよいよ遠くなるされど、この道を行く。
永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩と言う。眼に見えないところうに向かっても努力を惜しまない。 |
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