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             聴  法  録  272

聴法録272-1

内在する真実の生命の私は内在する大いなる真実の生命に向かって一体するように深く深く普遍的な自己の生命に生命に向かって行かなければならないその為には、個人的な思いを手放し、手放し、手放していかなければならないこれは、一生涯続けていかなければならない。これが真実の私の行である。

これによって清浄な落ち着きの中に、安住しなければならない。
「真実の生命に向かう、生命が生命に帰る」方向だけです。

誰も、自己自らの内に
真実の生命は在し、この真実光明は、
「煩悩の障りの眼には見えずといえども、大悲倦くことなく常に我を照らしたもう」のですから、この真実の生命にどんな仕方でもでもいいとにかく今ここで、ご縁を頂くことを悦びつつ真実の生命を楽しみ、これを深くしてゆきたいものです。

聴法録272-2

私の決心したことは、最早決して踠くまいという一事、たとえ地獄のどん底もどうしたいと願わず、もがかずそれを勤め上げる気にさえなれば更にそこは地獄ではなく我が生命そのものなのだと。
真実の生命の内での出来事である。

生命ある中にこの世の中を楽しんでゆこう(生死を)生と死を含んだ真実の生命を生きていこう。短い生命の中を真実の生命を生きていこう。
真実の生命を悦んで生きる。このことこそ、生死をこえた真実の生命、真実の生命に包まれている生死、このことを感謝する。


内在する真実の生命を探し、見い出し一体を願う。
我が内なる真実の生命を信じること。
大いなる真実の生命の働きによって生かされて生きている事を信じること。
いまここに生かされて在ることを感謝する。
わが思いを手放し、手放していく、一刻一寸たりともおろそかにしない。

動物的本能で生きてきた。そのもの、自分中心の考へ、想像、欲望、名利、意志としての失望や不安があったとしても、これは真実の生命の深さに向かっての掘り下げていくための機会であると、認識し思いを放して、放していくこのことこそ真実の生命との一体である。