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| 聴 法 録 275 |
聴法録275-1
信心とは、如来より(一方的に)廻向される仏心のことですから、廻向された信心こそが如来にほかなりません、ですから、「私が信じる」などと言ってしまうと、信心は「私」の所有する心になってしまって仏より私の方が上位になってしまいます。結局「私」の心で私を導く普遍的な宗教原理になどなりえないことは明らかです。
すべて真実の生命の廻向による。
真実の生命を信じることの難しさ、難しさ、本当にこれでいいのだろうか?
聴法録275-2
眼に見える世界は眼に見えない世界に支えられている
生きていくのに、私をゼロとして、考えて行くのが大事。
真実の私は無我である。自我という考えを捨てよ。
バカになる教えに会うことが大事である。バカになりて真実の生命に帰る。
「智慧の光明はかりなし」
絶対の生命は、全てに満ち満ちて在らざるところなし。
内在する真実の生命の為に
内在する真実の生命を修する。
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