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| 聴 法 録 280 |
聴法録280-1
大心、老心、喜心
われわれ人間が「本当の大人となる」ということは「一としての自己を自覚する」ことであり、この「一としての自己の自覚」とは、これは「大人としての自己」は「自己の出逢う一切分の一切の世界」と同時に生きるのであり、また「自己の出逢う一切分の一切の世界こそが自己というものの生きる内容」ということです。「出逢うところ一切はわが生命の分身」として出逢えばこそ、出逢う限りのものは、自己の生命の内容を豊かにしてくれる。つまりこのとき自己は「出逢う世界ぐるみの自己」となるからです。
このように「出会うところすべてぐるみの自己の自覚」が「大心」であり、この大心においては、自己の出逢うところのあらゆる人、あらゆる事、あらゆる物、一切は、「わが生命の分身」です。それでこのわが生命分身たる一切のものに精いっぱい、親心を持って働くのが「老心」であり、このような親心で働くなかに、本当の自己の生命情熱、生きる喜びを見いだすのが「喜心」とよばれます。
聴法録280-2
「自己を生きるのは自己以外にはない」しかしそれは決してひと頃よく言われた「それはわっしにはかかわりのねえことで−−−」という意味でではなく、かえって「私がかかわる一切ぐるみの自己」を私は精一杯生きることです。
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