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             聴  法  録  281

聴法録281-1
現代という時代を、一言で特徴づけるとすれば「豊かな生活、貧しい人生」の時代だということが出来るのではないでしょうか。これに対して、求道とは何より「豊かな人生」「ゆたかな一生
を志向し追求することです。このような「ゆたかな人生、ゆたかな一生」であるためには、まず「生命の真実」が自覚されねばなりません。そして今の時代のように「生活を豊かにする」ための「金」のみが最高価値として仰がれるのではなしに、「生命の真実」こそが、本来として、最高の価値であることが発見されねばならないでしょう。
いまの社会は高齢化社会であるといわれます。ところが人生晩年にいたれば、だれでも好むと好まぬとにかかわらず収入が減じて「貧しい、乏しい生活」につきおとされることは避けられません。このときいたずらに「自分の一生は貧しい人生であった」「うつろで、むなしい人生であった」と嘆くよりほかに、取るべき道はないのでしょうか。その点「求道」と言う道こそ、来るべき社会の為に掲げられねばならないのだと思うのです。若い人の求道もあるべきです。壮年の人の求道もあるべきです。老いた人の求道もあるべきです。他から水につき落された人間は溺れるよりほかなく、ただ自ら飛び込んだ人間のみ泳ぎ切るでしょう。積極的求道の道だけが、来るべき時代の救いとなると信じます。

聴法録281-2
ある人勧めていわく。仏法興隆のため関東へ下向すべしと。答えていわく然らず。若し仏法に志あらば、山川江海を渡りても来て学すべし。その志し無らん人に行き向かいて勧るとも聞き入れんこと不定なり。只我が資縁のために人を誑惑せんか。又財宝を貧らんがためか」さて、このような達磨大師、道元禅師の精神を尊守し、そのような生き方でこれからの時代を本当に導いてゆく人間であるためには、これはまったく生半可な人間の為し得ることではないことは言うまでもありません。今の世間相場、世間評価をまったく度外視し、金や権力、名声などというものとは全く別のところで、自己の生命の真実を本当にじっくりみつめた人間でなければなりますまい。金や地位、名声などを眼の前に持ち出されるとたちまち嬉しくなってしまい、肩書がそのまま自分の値打ちぐらいに思ってしまう人間では困るのです。いかなる世間評価ともかかわらず、まったく孤絶したところで、どこまでも「自己の存在価値を、自己自身において見いだしていられる」ほどに、自己の生命の真実に落ち着いて、これを信じて疑わない鉄漢でなければなりません。そしてこのような鉄漢であるためには、是非とも世間を捨て切り、或は世間から見捨てられたところで、自己になり切った人間でなければなりません。