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             聴  法  録  282

聴法録282-1
普通世間の生活では金を総ての価値の根本としている訳ですが、それというのも金さえあればあらゆる欲望が満足させられるためです。つまり金を最高価値とする根底には、欲望の満足に生きがいを見いだしている人生観、生き方があります。
ところでこの欲望満足に生きがいを持つ人生観、生き方こそは、何より反仏道的なるものです。と言って決して仏教は禁欲主義ではありません。八大人覚も小欲(欲を少なくせよ)とはありますが、禁欲とはありません。食欲、性欲、知識欲、制作欲、向上欲などの全てを否定したら、人間存在そのものの否定となってしまうでしょうが、仏道は人生の真実の追求ではあっても、決して人間存在そのものの否定ではないからです。
問題は欲望の満足を人生の目的とするような人生観、生き方なのであって、それというのは仏教のそれとはまったく異なった人生観、生き方を提示するのだからです。
それは何か。仏道とは「ただ仏法の為に仏法を学す。即ちこれ道なり」とあるように、仏法を最高価値とする生き方です。仏法とは無量無辺と言う事なのであって、決してこのちぃちゃな自分の物足りようの思いを満足させるためのものではありません。この無量無辺の仏法を最高とする求道生活は、欲望名利とつながる人生観、生き方の前には絶対開かれないものです、道元禅師が名利をことに嫌われたのはこの点にあると思います。むしろ却って、自ら金、名利を断ち切って、退却路のない貧しい修行者の前にのみ、はじめて仏法の尽界が現れるでしょう。貧しければ貧しいほど、はじめて仏道に精進せざるを得ず、そこにはじめて仏法の尽界が骨身に答えて体験されてゆきます。貧乏という危機感のない修行生活にはどうしても骨身にこたえるものがない様に思われます。お互いに修行者として、何より貧乏という危機感を修行道場と心得ましょう。