本文へジャンプ
             聴  法  録  284

聴法録284-1
「仏法とは一体なにか」
天皇山道悟和尚が石頭
希遷和尚に「いかなるか是れ仏法の大意」と聞いた。そしたら石頭和尚が「不得不知」と答えた。そこで「師いわく、向上更に転処ありやまたなしや」−−道悟和尚が「もうちょっとほかに言い方がありますか」と訊いたら「長空白雲の飛ぶを礙えず」とーー大空が白雲の飛ぶのを妨げない。自由に飛ばしている。この古則の言葉が仏法というのを一番よく言い表しているのではないかと思う。まず「如何なるか是れ仏法の大意」という問いに対して「不得不知」という。いかにも「わからない」と言っているみたいだけれど、そうではない。不得不知と言う事が、仏法だと言う事です。この不得不知とは、「如何なる造作も差し控えているという態度」だ。要するに、あらゆる作り事ををしないで差し控えている。私はこれを「アタマの手放し」という。我々は何か考える時には、アタマでもって、何かをつかんでいる。それを、いま、アタマを手放しにするーーすると落っこちる。この頭を手放しにして落っこちるというのが、−−身心脱落だ。道元禅師の「身心脱落」と言う言葉を聞くと、語感として何かゴソッと蝶つがいでも外れたようなふうに思うけれど、身心脱落とはそういうものではない。アタマの手放しをしたときに頭で考えているものが落っこちる、これが身心脱落だ。この「アタマの手放し」という表現は、われわれとしては「アタマの手放しひとつですべては整いまする」だ。アタマの手放しひとつだけで、問題はすべてかたづくのですね。アタマのやりくり算段で
、一生懸命片付けようとするけれど片付かない。ところがあらゆる問題はアタマが起こすのだから、アタマを手放しにする。これが身心脱落。このとき全く問題はなくなる。