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             聴  法  録  287

聴法録287-1
人間のアタマで考えたことはすべて間違いで、ただアタマの手放しのみ真実と言うことです。聖徳太子のお言葉にも「世間虚仮、唯仏是真」「世間をすべていつわりものとすとも、ただ仏のみを真ととすべし」というのがあるけれども、とにかくわれわれは今ここに絶対価値の標準を置かなければならない。アタマの手放し仏法こそを一番大切にしなければならない。だから仏法というのは「人情世情でない」と言うことが大切なわけですが、しかしながらここにまたちゃんとワナがある。人情世情を入れてはいけないというと、今度は仏法というものを人情世情から全く引き離して、これだけが仏法と言って小さなカコイを作ってしまう。しかしながら、それでは「長空白雲の飛ぶを妨げず」ではなくなってしまう。結界道場などは無邪気な方だ。もうちょっと込み入ってくると、我を張るために「仏法」
を持ち出すようになる。自分の我を張る煙幕のために、仏法のための仏法と言っているお師家さんがいかに多い事か。これはよくよく気を付けなくてはならない。仏法と言うことの根本はあくまでも「長空白雲の飛ぶを妨げず」と言うことなんだから、人情世情と対立して、人情世情を拒否することは絶対に許されない。
これは一体どういうことかというと、要するに、「仏法のための仏法」ということは、本当にただ自分が自分に言い聞かせる以外にないと言うことです。修行者はどこまでも自分自身だけが、人情世情でなしに、仏法のための仏法という態度で行かなければならないと言うことなんだ。けっして、「仏法のための仏法だぞ、それなのにお前そんなことをした」と言って、仏法を盾にとって人を裁くことは許されない。「仏法のための仏法」と言うことを持ち出して、これでもって人を裁くと言うことは絶対に許されない。仏法は国法のように人を裁くための法律ではないのだから。
そういうことは坊さんとしては、いろいろ多いですよ。坊さん自身が、俺の我欲のためにいい言葉を他人に向かって言う。たとえば「人間は布施が大切。みなさん布施をしなさい。」そう言って、なぁに、俺が貰ってしまう。そんなことは許されない。布施と言うことも、人に強制することではない。「俺自身が出す」というのが布施なんだ。仏教の一番大切な事は、どこまでもただ自己の問題だと言うことです。どういうことも自己に当てはめて、自分がそうしなければだめだ。仏法のための仏法ということも、特にこの態度が大切です。