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               聴 法 録 29

聴法録29-1

大いなる生命、真実の生命の私、我が内なる真実の生命との一体こそ我が人生の目的である。
その為には、そのものに対する絶対の信心が必要である。
その為にはいかなる障害に対しても、絶対の信心で乗り越えていかなければならない。いのちがけである。
絶対の信心と、生かされて、生きていることに対する喜びこそが、信心の両輪である。
我が内なる真実の生命は、大いなる真実の生命なり。それが真実の私であり、大いなる真実の生命なり。私のために内在している。

私が生まれたことは、身体をもって生まれたゆえに、自分中心であり生かされて生きていることを知らない。大いなる真実の生命についての智慧を持っていないが生きていくうちに苦悩、病気,老い、死を経験するうちに真実の幸福が何かと考えるようになり(その人は幸せなり)永遠の幸福を探し始める。私の内に真実の生命があるという智慧を得る人は幸福なり。そして本当の幸福を探し始める。外にその対象を求めていたが、私の内にそれがあると言うことに気付く人は幸せなり。そこから真実の幸福を求める。

内在する真実の生命が求めに応じて答えてくれる。求めに応じて、大いなる真実の生命に至る道を教えていただき、その道を歩いていく、苦難多くとも必ず大いなる真実の生命との一体を求めて進む。実際は大いなる真実の生命のみであるけれどもそのことに気づくまでどこまでも、どんな障害があろうとも、一生をかけて人に何と言われようとも、見えないものを見る、聴こえないものを聴き、知り得ないものを知る智慧を求めて、内なる私の真実なる生命に祈りながら歩んでいくのだ。

真実の幸福、永遠の幸福は、内在する真実の生命の内にあるのだ。そのことがわかるまで行く一生、いや生まれ変わっても、目的が達成するまでどこまでも、どこまでも。 真実の私を育てて頂くことが真実である。
聴法録29-2

大いなる真実の生命、内在する真実の生命こそ永遠であり、光明であり、智慧であり、全てに満ち満ちている。
恐れることは何物もない。

内在する真実の生命こそ、探し求めていたものである。

天上天下唯我独尊である。

あまりにも、大きすぎてわからない。