聴  法  録  300

聴法録300-1

善事をするために努力することは必要である。しかし悪事をしないように努力することは一層必要である。情欲の制御に努力することは一層必要である。

聖徳に達するためには何よりも抑制は、小さい時からの習性となっていなければならない。若し抑制が小さい時からの習性となっていたら、多くの徳を備え得るであろう。多くの徳を備え得た人にとっては、制御し得ない何物もないのだ。

人々がそんなに魅惑されているすべてのもの、そして人々がそれを得るためにそんなにも興奮し夢中になっているすべてのものは、人々にいささかの幸福をもたらすものではないのである。人々が夢中になっている間、人々は自分たちの幸福は自分たちが追い求めている所のものの中にあると考えている。然し人々が追い求めていた物を得るや否や、再び自分たちが持っていないものに対してまた夢中になり、嫉妬し悲しみ始める。そしてこうなることのは解かりきったことである。何故なら自分たちの下等な望みが達せられたときに人々は心の自由を得るのではなく、反対にそのような望みを振り捨てた時に心の自由を得るのであるから。もし私の言うことが真実であることを信じたいと思ったら、あなたが今までそれらのつまらない欲望を達するために費やしてきた半分の努力でいいから、それらの欲望を振り捨てるように心がけて見よ。そうすることによって直ちにはるかに多くの平和と幸福とを得られることが解るであろう。

結局、耐え忍ぶものは救われる。

試みに負けないものに恵みあれ。神はすべての者を試み給う。ある者を富に於いて、そして他の者を貧に於いて、富める者にはーー必要なる者に対しておしむでないかどうかということを、貧しき者には―従順に、不平を言うことなく自らの苦悩の天命を耐えているかどうかと言うことを。−

荒馬に対しても、或いはただ手綱で統禦されているばかりの弱弱しい馬に対しても同じように、自分の怒りを抑える者こそ、私は信頼すべき馭者と呼ぶ。

若し背負わされた不愉快な事件の為に発作的な怒りや混乱を感じる時があったら、すぐに自分自身から退いて、自分から自制力を奪ってしまう所のその印象に身を任さないようにするのが一番である。私達が、意志の力によって精神の平静な状態に立ち帰ることを練習することが多ければ多いほど、精進の平静を保ち得る能力が増して来るのである。

いかにたぴたぴ自分の情欲に打ち勝つことの出来なかった場合を経験しても、気を落としてはならない。二つの傾向の争闘をただ経験する度毎に情欲の力は弱っていきそして情欲に打ち克つことも容易になってゆくものであるのだ。