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| 聴 法 録 307 |
聴法録307-1 大事である
肉体的な「自我」を愛することは、神に対する愛を邪悪にする。自らの中に、又、あらゆる者の中に同じようにあるものを愛することは、神を愛することを意味する。
「師よ、法の中におけるもっとも大きな命令は何でありますか」キリストは答えた。「お前の神を、あらゆるお前の心と情と知とをもって愛せよ。これが第一のそして最も大きな命令である。第二の命令もこれに似ている。隣人を愛すること、お前自身を愛する如くであれ。この二つの命令の上に、預言者たちはすべての法の証しを立てているのだ」−
すべての人間は、自分で考えているような所に於いて生きているのではなく、人々の間に愛のある所に於いて生きているのである。神は、人々が離れて生きていくことを欲してように見える。それ故に神は人々に向かって、彼ら各自が自分勝手に必要とするものを啓示しなかったのである。神は、人々が結合して生きてゆくことを欲しているように思われる。それ故に神は人々に向かって、彼等が同じように自分とすべての者にとって必要であるものを啓示したのである。人々は、自分たちは自分たち自身のための煩労の中に生きているのだと思っている。しかし人々は、一つの愛の中に生きているのだ。愛の中に生きる者は、神の中に生きる者であり、神も彼の中にある。何故なら、神こそ愛であるから。
人々は、愛によって生きている。自分に対する愛は、死の始めである。神と人類とに対する愛は、生の始めである。
もし人が兄弟を許すことが出来なかったら、彼は兄弟を愛していないのだ。まことの愛は無窮である。そしてもしそれがまことの愛であったなら、許すことの出来ない如何なる侮辱も存在しない。
神は、愛である。そして愛の中に生きる者は、神の中に生きている者である。神もまた彼の中にある。誰も神を見た者はなかった。もし私達がお互いに愛し合えば、神は私達の中にあるのでありそして神の愛は私達の中に於いて成し遂げられるのである。私は神を愛するが、自分の兄弟を憎むという者は、嘘をついているのである。何故なら、眼の前に見ている自分の兄弟を愛しないものが、どうして眼に見えない神を愛することが出来ようか。兄弟たちよ、互いに愛し合おう。何故なら、愛するものは神から生まれた者であり神を知るものである。神は愛であるから、愛の中に生きる者は、神の中に生きる者であり、神もまた彼の中にあるー
愛は、私達の人生の基礎的な最初ではない。愛はーー最後である。愛は原因ではない。そして愛の原因は、自分の中に、神の精神の最初を意識することである。この自意識が、愛を要求しそして愛を生む。
私達に感じのいいものを愛するのは、神を愛することを意味するものでもないし、広く一般に愛することを意味するするものでもない。
まことの愛は、努力の中に得られる。貴方が交際している人が、彼方が自分を愛するように、彼自身を愛していることを思い浮かべよ。貴方は、その人に対していかにしなければならないかと言うことを理解するだろう。
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