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| 聴 法 録 311 |
聴法録311-1
人生における自らの天命を知りそして力の及ぶ限りそれを成し遂げることに努力する人こそ、有徳の人というのである。
学問のある人とは、本を読んで多くの事を知っている人である。教養のある人とはその時代に最も広く拡がっている所の知識や様式をしっかり心得ている人である。そして有徳の人とは、自分の人生の意義を理解している人である。
人類というものが存在した最初の時から、すべての民族の中には常に教師たちが現れてきた。それは人間にとって何よりも先に知ることが必要なことに関する学問を組み立てた教師たちである。この学問は、常にその題目の中に各自の人間とそして全ての人間の目的とそれからその真実の幸福を有する者についての知識を持っていたものである。その故に、この学問は、あらゆる他の知識の目的を限定するための導線として役立ったものである。
学問の題目は、数に於いて無限である。そしてあらゆる人間の目的と幸福とが、何によって成り立つものであるかと言うことの知識がなかったら、この無限の題目の中から何かを選択する可能性もなくなるわけである。でそれ故に、この知識を欠いた所の他のすべての知識や芸術は有閑的な有毒な娯楽となってしまうのである。そしてこれは私たちの眼の前でも多く見られる現象である。
現代の人々を導いている所のかくの如き馬鹿げた生活自らの良心に背反しているかくの如き生活が生じた理由に対するただ一つの説明は次の事実の中に求められる。即ち若い人々は数限りないそして最も難しい事柄、たとえば天体の組成について、何百万年間の大地の組成について、有機体の源泉について等、等と言うことを研究しているけれども、誰にも必要である所のただ一つの事を研究しないという事実の中にである。その一つの事とは、人生の意義である。古き時代における最も賢き人々が此のことについて考え、そしてそれを如何に結論したかと言うことを研究しないという事実の中にである。
その一つの事を研究しないだけでなく、それを研究する代わりに若い人々は、神の法則の名においては最も明白なつまらないことを吹き込まれている。それ等のことは、その一つの事を研究し或は教えられた者にとっては、到底信じることの出来ないようなことである。私達の生活建物の基礎には、石の代わりに膨れ上がった空気袋が置かれているのだ。こんな建物が崩壊してしまはない訳がどこにあろうか。
自分の事を、学問があり礼儀がありそして徳があると考えて人々が、最も愚かなそして悪臭を放つような無知の中にぐずぐずしていると言うこと、即ち自分の人生の意義を知らないだけでなく却ってその知らないことを誇りにしていると言うことは、現代において最もよく見かける事実である。そしてその反対に、科学のことも天文学もラジオの性質も知らない様な教養の低い人々或いは全然文盲の人々の中に、本当に有徳の人があり、自分の人生の意義を知りそして知っていることを誇りにしない人に出会うと言うことも、現代において同じようによく見かける事実である。その人々はただ、自分たちを教育あるものと考え、そして限りない自信の中に自分たちの本当の無知を絶体のものとしている所の、前記の人々を気の毒に考えているだけである。
学問は、ただこう言うことに於いてのみ必要である。即ち何がまことの善であるかと言うことを知ることに於いてのみ必要である。
これを知ることは、すべての人に出来る。
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