聴  法  録  312

聴法録312-1
社会生活は、ただ自己否認の人々によってのみ、よくされ得る。

一羽のツバメが春を作るのではないという諺がある。一羽のツバメが春を作るのでないと言うことも間違いないが、しかし、もしそのツバメが春を感じていたら、ただ待っているだけで飛んで来ないと言うことがあろうか?もしそのように、あらゆる土地も草もただ待っているだけだったら、春は決して来ないであろう。同じように、神の王国を打ち立てるのに際して、自分が第一番目のツバメか或は第十番目のツバメかと言うことを考える必要もない。

天と地は永遠である。天と地が永遠であると言うことの原因は、天と地がそれぞれ自分自身のために存在しているのではないと言うことの中にある。これこそ、天と地が永遠である原因だ。
で、聖賢は自分というものから常に離れている。その故にこそ、救われるのである。自分のために何物をも探し求めないことが、その為に必要である。そしてそれ故にこそ、自分に必要なすべてのことを、なし遂げ得るのだ。

もし人生をよくしょうと願えば、いつでも人生を投げ与える用意をしなければならない。この一つの法則は、私的生活にも社会生活にも相通じるものである。

人々が、この地上に於いて、起こった中の、最も大きな善と悪との争闘が始まる兆候を待ち受けている時、世界のあらゆる所に於いて大雷の音が聞こえている時、すべての人々が、自分たちの間で二つの軍隊即ち神の軍隊と悪魔の軍隊とが衝突する時が近づくことそして人類未来における運命が自由であるかあるいは奴隷であるかはこの衝突の結果にかかっていると言うことを感じている時ーこれまでの真剣な時に於いては、何よりも先に次のことを確実に知ることが必要である。即ち神の軍隊の召喚には、ただ、上官の示す例にならって救ってやるべき憐れな人々の中につきいる者、あらゆる人間のためにはすべてを捨てる者ー情実に患はされず今日は此処明日は彼所と言う風に、救いが必要である所そして争闘のある所えは何処でも行けるために、頭を抑えられる何物をも持っていない者、滅ぶべきものを滅ぶべき者として埋め得る者ーこれ等の者だけが応じ得るのだと言うことである一時的なものに恋〃とし、物欲に捕らえられて、自分の中にも自由を要求している魂があることに気づかず、生きると言うことは争闘を意味しそしてこの偉大なる自由を成し遂げるために死ぬことを意味することを知らない者達は、滅ぶべき者達である。

一人の人間の歴史に於いて最も重要なことは、その人が何を目的としたかと言うことである。その人によって成し遂げられた全てのことは、常に大きな程度において偶然の事情に依存しているものである。そして偶然のよき機会のために、その人の実行されなかった意志から遠く離れたものが出来上がる事があるものだ。そこですべての最も偉大な人々の人生は、その人達が実現した結果よりも、その人達の目的と努力の中に於いてより多く表現されているものだ。で、その人達を評価するのも、その人達の目的とそれに伴っていた感情とによる方が、その人達が成し遂げ得た結果によるよりも正しいのである。

犠牲なくして人生をよくしょうとするあらゆる試みは無益である。そういう試みはただ、善くする可能性を取り除いてしまうにすぎない。