聴  法  録  314

聴法録314-1
人間の精神的な完成は、理知が強くありそして欲情が静かである程度に従ってなされるものである。この完成に、自ら意識して努力しそしてそれがよくなってゆくのを見る時、人間は幸福である。

或る種の行為はそれに対する報酬として社会一般から拍手を送られる。そのような行為を自分の目の前に見る時、人間には遙かの彼方に虹が輝いているの見る様な気がする。そしてこれは、若い者にとっては特に魅力的なものである。が、その虹、その行為が消え去ってしまうと、同時に努力する力も消え去ってしまうものである。しかし真実の教えの前には、永遠に虹が輝きそして永遠の行為が見られる。真実の教えは、若いものと同じように人生における戦いに渇している。真実の教えには、常に戦うべきものとそして進むべき所とがある。何故なら彼の絶えず澄み渡っている所の自己反省は、自分自身の中における新しい欠点を暴露する。そしてこれらの欠点と新しい戦いを開始しなければならないからである。それだから、真実の教えの中のあらゆる力は、眠ったり弱くなったりしないだけでなく、却って絶えず次から次えと目覚めつつあるものである。そして、よりよくありたいと欲する願いは、真実の教えに、いくら努力しても満足することを知らない野心家には与えることの出来ないような、鼓舞を与えるのだ。ここに、他の者達が退化してしてゆく時に、何故真実の教えが進化してゆくか、そして真実の教えは、進むにつれて何故にますます深い知識を得てゆくか、と言うことに対する原因があるのだ。

私達は、次のように考えている。即ち本当の労働というものは、何か外部的なものに対して働きかけることである。たとえば、財宝や住居や家畜や果実などを作ったり集めたりすることである。そして自分の精神に対して働きかけることは、大切な事ではないと。しかし何といっても、自分の精神に対して働きかけることを除いた他のあらゆる労働は、どれもこれも詰まらないことであるのだ。

過失や失策のために、とりのぼせてしまはないように心掛けよ、自分の過失を知ることほど教訓的なことはないのだ。それは、自己教養の最も重要な方法の中の一つである。

見ず知らずのことに闘って自分の心を煩はすことを避けよ。自分に関係のないことの中に入りこむことを避けよ。そんなことをしている間に、自己完成の道を正しく進みそして成功するように努力する方がいい。

私達の生活は、道徳に対する奉仕から成り立っている。それは丁度、人類の生活が、種族に対する奉仕から成り立っているのと同じである。私たちの間に完全な偉大な行為がなされたのを見ると、自分たちの人生はすべてそしていつでも、高貴なものであると考え得る理由を見たように感ずるものである。

「こんな行いはつまらいものだ。私だって、何の気遣いもなしにやって見せる」というようなことを決して言うな。「こんな道徳はつまらいものだ。こんなものがなかっても、私はやって行ける」と言うようなことを決して言うな。

自分の成長してゆく精神的な方面の生活を意識しないで、ただ動物的な方面の生活をのみ知っている所の人間の状態は恐ろしい。その人が長く生きてゆけばゆくほど、真実の人生は衰えそして消え去り、何物もそれに代わることは出来ないのである。