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| 聴 法 録 316 |
聴法録316-1
悪には、きまった形が無い。そして人々の間をうろついて、突き当たっている。
憤怒に身を任せないための一番いい方法は、例えば暴君に対してとるべき態度とよく似ている。即ちそれはこういう事の中に得られる。常にそれに屈服してしまうことなく、それが熱くなれと命令した時にその命令に巻き込まれることを止め、厳しく周囲を見回しそして自分の面を自分で打つのである。それからは、冷静になって、荒々しい行動や叫喚は、ただますます苦痛を増すだけである。情熱にしても愛にしても嫉妬にしても恐怖にしても。一つのものが何もかにもの上に広がると言うことはない。しかし憤怒に於いては、すべてのものに飛びかかる。敵も友達も、子供も大人も、神であっても野獣であっても精神のない物質であっても一切お構いなしに、あらゆるものの平和を乱してしまう。私は、正しいかあるいは正しくないかは自分で分からないけれども、自分の噴怒を治療するために、他人の憤怒の様子を研究することに努力した。私達は何よりも先に、どんな病気のもないような最も重態の兆候を、ヒブクレスに於いて見たことを覚えている。このように私は人々が憤怒の為にすっかり夢中になってしまい、物のいい方も顔の色も歩き方も声も何もかも変わってしまうのを見て、自分の心の中に、この情念の絵として、または形象として深く焼き付けて置いた。そしてまことに忌まわしい気持ちで考えた「もし私の友達や妻や娘たちが、いつか急に私が、こんな恐ろしいそして無茶な様子になりそして粗野な邪悪な目つきで睨みつけるばかりではなく、憎々しげな声で怒鳴る所を見たらどう思うであろう」と。風のために狂い吠える海が、海草をすっかり根こそぎにして吐き出してしまうことは誰でも知っている。海と同じように、心の中に嵐が生じた時に、憤怒は失礼な、激しい、邪悪な言葉にもってこいのはけ口を与える。人間の口は、それ等の言葉で一杯になり汚されきっていて、何時も吐き出そうと待ち受けているものなのだ。
しかし憤怒がやって来た時に、自分自身を注意深く反省することは、一体憤怒とはどう云うものであるかと言うことをよく理解せしめ、決してかくの如き感情に進ましめないばかりではなく、その反対にそれらの感情の破産的な性質を自らはっきりと感じさせるものであるのだ。
何よりも先に、この自己反省は、私達に、憤怒と言うものは決して高尚的なものでも男性的なものでもないと言うことを示す。そして憤怒の中には、決して高められた感情も偉大な感情もないと言うことを示す。しかし無智な人々はそれがあると考え易い。何故なら彼等は、自分たちの撹乱を積極的だと考え、威嚇を勇気と考え、不軟順を力と考え、残虐を力の記号と考え、刻薄を堅固と考えそして意地悪を悪に対する険悪だと考えるからである。
その反対に、憤怒している人の行動はすべてその人の弱さと馬鹿らしさとを顕はしているものものだ。そしてそれは、たとえばその人が憤怒して自分の子供を殴ったり、自分の妻に向かって乱暴な事をするというような場合だけでなく、その人が馬や犬をけったり打ったりしてやらなくちゃならないと考えている時でも同じである。
ひどく打つと、身体が腫れ上がるように、弱い心が他人によって痛みを受けると、もっと弱くなるよりも却って強い憤怒を感じるものである。女が男より怒りやすく、病人が健康な者より怒りやすい原因はここにある。このように誰かが言ったように、憤怒というものは強い心の現れではなくその反対に弱い心の表れであるのだ。
弱い心は、力の限り痙攣しながら、自分の執念を忘れ去ることが出来ないだけでなく、泥を吐き出す嵐の海と同じように自分で自分を闇黒にそして汚染にするものである。
吝嗇家は、他人の持っているものを自分の物にしようと努める。自分だけが金持ちになればいいのであるそして自分の利益のために他人を傷つける。彼の為す悪は、普通に考えられているよりも遥かに大きい。彼は、自分の罪悪から何の利益を引き出すことも出来ない時にも他人を傷つける。彼は、他人に悪を伝えるが、尚それ以上に自身に伝える。これこそ、却って自分の家も身体も精神も同じように滅ぼすところの最も恐ろしい狂態ではあるまいか。
憤怒の発作に引き込まれる人が男らしい人ではない。親切と優しい心とを持っている人こそ男らしい人なのだ。
怒りと言うものが他の人に対していかに不愉快であっても怒っている本人自身が一番苦しいのだ。
怒りで始まったことは、恥を以って終わるものだ
怒りは、怒りを呼び起こす侮辱よりも有害なものだ。
その悪に境界線が無くなってしまった人−悪の中にすっかり包まれてしまった人は、ただ最も悪い敵が彼と衝突してやろうと待ち受けているようなところえ自分を連れて行ってしまうばかりである。
新しく注いだ乳は酸っぱくない。悪事はすぐに果実を結ぶものではない。しかし熱の下に隠れている火のように、次第〃に燃え立って悪に狂った人を苦しめだすものである。
人々がお互いに邪悪な様子で争っている所を見たら、子供は直ちにその様子を正しく価値づけるものである。即ち子供は、誰が正しくて誰が悪いかと言うことにはお構いなしに、恐怖と嫌悪とをもってその人々から逃げ出していくであろう。
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